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 神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

大相撲天地創造 大和の反撃

2024年09月14日 06時31分03秒 | 大相撲
 相撲界は20年にわたってモンゴリアンに支配された
大和最後の王、若貴兄弟が去ったあと、次々と強力無比のモンゴリアンが日本海を渡って相撲界に上陸した
朝青龍、日馬富士、白鵬、鶴竜、不屈の巨人照ノ富士という無敵の五大モンゴリアンが相撲界を支配し、更に怪物逸ノ城、超人玉鷲、千代翔馬、霧島、豊昇龍なども大暴れした。

これらの無敵のモンゴリアンに挑む大和の戦士たち、琴奨菊、豪栄道、高安、貴景勝、朝乃山、正代、御嶽海、
しかし情け容赦ない騎馬民族の血は、心優しい大和の戦士を凌駕した
次々と大和の戦士はモンゴリアンの前に倒れて行ったのである
そんな中に一筋の光、稀勢の里が現れた
稀勢の里は高安と共に孤軍奮闘、モンゴリアンの軍団に攻め入って一矢を報いたが、力尽きて短い栄光は閉じて、再びモンゴリアンが支配する相撲界に戻った。

もはや相撲界はモンゴリアン同士が血を血で洗う世界と化して、大和の影はどこにも見えなくなった
誇り高き大和の偉業を継承する種すら見えぬ有様となった
そんなモンゴリアン支配の相撲界にも変化が起きて来た、朝青龍が突然相撲界を去ってモンゴルに帰った
日馬富士も去った、照ノ富士は横綱を目の前にして大けがを負って姿を消した
白鵬と鶴竜の二代巨人がそれでも相撲界を支えた、逸ノ城も大きな存在感があったが自滅して去った
鶴竜にも限界が訪れた、そして去り、相撲界は白鵬がただ一人で支配した
今が大和の復活の時と大和の戦士たちは勇み立ったが、白鵬ただ一人にすべてが打ち砕かれた、更に新たなモンゴリアンの豊昇龍、霧島が成長して大和の戦士を圧迫した

だが大和の伝説横綱、大鵬に匹敵する白鵬にも限界が訪れた
大和復活の時であった、しかしまだ大和の戦士は小粒であった、そこに地の底から復活した照ノ富士がものすごい勢いで横綱に上り詰めた
モンゴリアンの系統が最高位に着いたのを見て白鵬は安心して去った
今度は照ノ富士という巨大な王が相撲界を支配した、勢いづいたかに見えた大和の戦士はまだまだ力不足の上に、力が拮抗しているので互いにつぶし合い、毎場所ヒーローが変わる事態に
今場所良くても、来場所は負け越すといったことが続き、その間に豊昇龍、霧島のモンゴリアンが大関を射止めた
またしても相撲界は三人のモンゴリアンに支配されてしまった
だが、無敵の照ノ富士は無理がたたり、病気もケガも悪化して休みがちになった、豊昇龍、霧島は過去の五代モンゴリアンに比べると小粒であった、しかし大和にはこの二人にさえ匹敵する者がいないのだ

天地創造、日本がまだ日本でなかった神代、日本の辺りは漆黒の泥海で大地も何も見えなかった
天の神様はその泥海を杓でかき回して、引き上げた、そのしずくが泥海に落ちて今の日本列島の島々を作った
大和の始まりである

令和という時代がやって来た、五代モンゴリアンの大嵐を知らない大和世代が芽吹いてきた
それもものすごい勢いで成長し始めた、彼らはモンゴリアンの怖さを知らずに相撲界に現れた
未だ照ノ富士は横綱としているけれど、瀕死の身である、一年に一度だけエネルギーが充填されると出てきて大暴れするが、一場所でまた力尽きてしまう
そんな照ノ富士だが未だ貴景勝、霧島、豊昇龍らが勝てない
ところが、隆の勝、大の里など力をつけた大和戦士が照ノ富士を二度三度傷つけた
令和の大和戦士が20数年のモンゴリアンの呪縛を解こうとしている
それも二人や三人ではない、昭和の大横綱の血を引く孫戦士も出て来た
琴桜、王鵬が力をつけている、傷ついた照ノ富士、抵抗する霧島、豊昇龍を恐れていない
そこに大の里、平戸海、隆の勝、熱海富士など若き戦士が加わる
十両にも尊富士がケガを克服して蘇った、まもなく三役に上がってくるだろう

若い世代は、最初からモンゴリアンの呪縛が無い
少しも怖れていない、最初から気持ちで圧倒していくからひるまない
平成時代に多くの大和大関が五代モンゴリアンの前に立ちすくんだが、今の若い大和戦士にはそれが無い、満タンのエネルギーでぶつかって倒していく

令和の大和戦士を引っ張り、近い将来横綱に就くのは、ケガさえなければ琴櫻、大の里は間違いない
琴櫻は体が大きくなり、重くなった、落ち着きも出て慌てない、顔もふてぶてしくなった
大の里は相撲の基本通りにとっている、しかも体が大きくて馬力がある
一気に相手を土俵際に持って行き、残す時間を与えない
まだ粗さがあるが、来年には琴桜と大の里は横綱となって、栃若時代、柏鵬時代のように琴大時代を築くのは間違いないだろう
そして、そこに尊富士も加わる大和戦国時代が来るのではないだろうか
さらにさらに、敗勢になるとあっさりあきらめる王鵬だが、今場所は粘って盛り返して勝つ場面も出て来た、今後自覚が出て稽古に励み琴櫻のように精神面が強くなれば大鵬の血は蘇るかもしれない、頑張れ王鵬、今場所少しばかり、そんな姿が見られたので嬉しい。

世界は日の出を待っている
Kenichi Sonoda & Dixie Kings - THE WORLD IS WATING FOR THE SUNRISE




「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(198) 甲越 川中島血戦 25

2024年09月13日 19時08分17秒 | 甲越軍記
 石井藤三郎は以後、南部をつけ狙うが、流石の南部は隙が無く、むなしく日々が過ぎていった。

そんなおり、今年四月、武田晴信は信州に発向した
南部下野守の手勢組下には、駒林佐渡、石井藤三郎、倉部、草間、渡邊、今福ら七十騎、諏訪に到着した。

翌日のこと、長坂左衛門尉の馬が突然暴れ出して、綱を切って逃げ出した
歩卒がこれを追うが、馬はいよいよ驚いて八方を逃げ回る
たまたま、ここへ藤三郎が通りかかって、ようやく疲れて大人しくなった馬を取り押さえて陣中に戻ったが、受け取りに来た長坂に渡さず、南部が見とがめて、返すように言ったが、それでも返さない
南部は命令に従わぬ藤三郎に腹を立てた、藤三郎を陣所に呼びつけて散々に罵れば、藤三郎は春路が言っていた言葉を思い出して(やはり春路が言ったことは間違いない、我に無理難題を押し付けて、腹を切らせるつもりであろう)
と思った
すると急に怒りがこみあげてきて「武士たる者が馬に逃げられて、それをとり押さえてくれば、懐手にして返せとは卑怯な振る舞いである、それに加担するは短慮ではござらぬか、もはや返す気はござらぬ」と怒気を含めた目で南部に従わぬ。

南部は驚いたが、「馬を返さねば、それでよし返さぬまでの事、儂を短慮と申したな、そのように嘲ることこそ奇怪なり」と言って、刀の柄に手を掛けた
藤三郎も「心得たり」と脇に在った矢筒を南部に投げかけた
一座に緊張が走り、歩卒は藤三郎を押さえんと取り囲んだ、覚悟が定まった藤三郎は近寄る歩卒を三人まで、たちまち切り倒した
さらに四人に手傷を負わせて、隣り合う浅利式部の陣に駆け込んで、そこでも死に物狂いに切って回った
浅利の陣内では軍議を行っていたが、そこにいた山本勘助が心得たりと、ありあう棒を持ち、石井藤三郎に立ち向かった。

大兵の石井に小兵の山本、山本は不自由な足も気にかけることなく自在に動いて打ち立つ白刃ひらめかし、飛鳥の如く軽やかに躍り上がり、飛び違いざまに石井の白刃を叩き落とした
そのままの勢いで、石井の胸倉を蹴れば、たまらず転がるところを兵らが取り押さえて縛り付けて、南部のもとに引き渡した
怒った南部は、その場で石井藤三郎の首を切り落とした。

この時、勘助も石井の白刃によって三か所の手傷を負った
勘助は戦場でも、こうした放し討ちの時も、必ずと言って手傷を負う
その数、八十六か所という
大兵の石井を手も無く搦めとるとはさすがであると、この場を見た人々は勘助を褒めたたえた。

ところが南部下野守は、またも妬みの病を起して「山本は兵法使いと聞いたが、たかだか石井如き小童相手に手傷を負うとは未熟だからだ、某の百歩の一にも及ばぬ男である、口から出まかせを申して策士などと持ち上げられているが、村ひとつ持たぬ者がなんぞ陣取りを講釈するとはおかしなことである
このような者を信じて信仰するとは、わが大将もたばかれておるのだ、片腹痛しと申すものだ」と言った
これが晴信の耳に入った。



江戸っ子? エドマン2日で4ホーマー ドジャース打撃戦制す!

2024年09月13日 05時18分07秒 | 野球
 どうにも最近のドジャースの先発陣はパッとしない 早い回から 点を取られる 、昨日は 山本が好投してして1点で抑えたけれども、 今日はまた ミラーが 1回に フォアボール 2つ出して 2点を取られてしまった 
2アウトまで取ってもそこから 連打されて点を取られるパターンが最近は多い。 

打撃陣も 少し 落ち込んでいるので 取り返すのがなかなか大変だ 
カブスには このカード 2連敗して 今日負ければスイープを食らう
カブスはワイルドカード争いで 少し苦戦しているので本気でかかってきている ドジャースには 地区優勝確実ということで少し 油断があるのではないだろうか、 大谷は好調なのか不振なのかよくわからないが、普通の選手の感覚で考えてはいけない怪物君だ
昨日は全然だめで、少し当たりが止まってしまった
今日は47号 是非とも 打ってもらいたい などと言っていたらいきなり 、 先頭 打者ホームラン 47号を打ち込んだ、 それで 47-47が 達成された
これで ドジャースもイケイケになるだろう、 続けベッツとフリーマン
 大谷のホームランは 190キロ角度19度の 弾丸 ライナーだった 
はあ! 嘘だろう 、スミス、エドマン、マンシーの三連発ホームラン、この前、大谷、ベッツ、フリーマンが初回から3人連続でホームランを打ったが、あれと同じことがまたおきた、しかも この回(1回だけど) ホームラン 4本 ドジャース これで5対2
 続いて ロハスもヒット 5連打 打撃 のドジャースが を戻ってきたか、 9番 テイラーが出れば 打者 一巡で大谷に戻ってくる 
だがセンター ライナーで終わりだ
心配なのは ミラーだ 3点のリードを守れるか 今シーズン まだ2勝しかしていない 安定性が欠けている。

今日は 鈴木誠也もホームラン 一発打った 、5回 まで4点差 勝っていたのに結局ミラーが ワンアウトで  4番 ベリンジャーに スリラー ンホームランを打たれて これで1点差にせま
られた これで交代 やっぱり 心配した通りになった、 ハドソンに交代して ミラーも勝利投手の権利は今回もパー これで 1アウトで 7対6 ハドソン 守れるか
 予想通りの打撃戦になった
交代したハドソンはフォアボール出して、ドジャースの投手陣は 後半戦に入って ピリッとしない、 この2試合も リリーフは5失点ずつしている 
ハドソンも ピリッとせず 連続 フォアボール 1アウト1,2塁 このピンチに 2塁ゴロそれを テーラーゲッツーを焦って弾いて エラー 、これで満塁 ここでタイム リーが出て 7対7 同点になって どうしようもない、それでもカブスもこの時、走塁ミスが出てドジャースは助かった、自滅したので助かった
それにしてもドジャース投手陣はエンゼルス並みになった
 8回裏 2アウトから 髭ヘルナンデスが ヒット 、その後 江戸 っ子?エドマンが 今日2本目の ホームラン は2ラン、しかも 昨日も2本 ホームラン 2日間で4本、ホームランバッターじゃないのに突然開眼、 さすが 江戸っ子? エドマンだ。

トミーエドマンは、江戸っ子どころじゃない、WBCでは韓国代表で出場、母親が韓国人なのか?
今年7月末まで、8年間カージナルスに在籍した29歳、今シーズンは故障者リスト入りだったが突然ドジャースにトレードとなった
打率.300 本塁打は、この2日間の4本 二塁手、左右打ち

さあ 9回の表 クローザーは コーベック 3点のリードを 守れるか 、カブスは2番 3番 4番 、3番は 鈴木誠也 今日ホームラン 1本 
コーベックいきなり ストレートのフォアボール これは心配だ、 ここで 鈴木誠也 打ってもらいたいような打ってもらいたくないような、 複雑な感じ これで5球 連続ボール、ストライクが 全然入らない、 うわ! 6球連続ボール 何やってんだよ 、次の4番 ベリンジャーは今日 スリラー ンホームラン打ってる
わっ! 7球連続ボール やっと 8球目で ストライクが入った 
うわぁ また フォアボール 、ノーアウトランナー 1、2 V塁、チャンスでベリンジャー まだノーアウト うわうわ また ストライクが入らない 2ボール うわぁ まだ フォアボールで 満塁、 ノーアウト満塁 ダボ助 今日3 四球の 場面でピッチクロック もう開き直って ど真ん中で勝負しろ 
ここでようやく打たせて外野犠牲フライで1点献上、10対8
1 アウト 、ところが 二塁ランナー 盗塁失敗で 2 アウト、 スミス お手柄 コーベック も制球がやっとついてきた 、最後は三振で試合終了 10対8 ドジャースが苦しみながら勝った。
ああ~疲れた。

旅行プラン

2024年09月12日 21時10分02秒 | 趣味
 地元の小グループに頼まれて旅行プランを作っている、去年も作ってあげたら評判が良かった。
とはいえ、相当な時間と労力を要する、三つの候補地を上げて、それぞれの見学どころ、入場料、駐車場、宿も候補を三つほど上げて選別する
そのほか、コーススケジュール、到着時間、区間距離と時間、高速料金、ルート、名物なども探す。
そして資料をデーターに上げてプリント、総合料金も計算する。

もちろん趣味でやっているので、びた一文もらうわけでないし、コピー代、用紙代も自分持ちだが、喜んでもらえばそれが嬉しい。

小学生の時から地理が好きで、小学校高学年では地理部に入っていた
商売屋の子に生まれなければ、旅行業も一つの選択肢だったくらい旅行計画を立てるのが好きだ
だから全然違う仕事をやって来たが、お客様に料理を提供する料理人、観光旅館でもやっていたから暇なときは、長野県の小団体や家族に地元観光の案内をしたこともある

仕事が休みの日には、とにかく北陸、新潟、長野、群馬、岐阜と日帰りで早朝から夜までドライブをしたものだ、東京日帰りもやったことがある
長野県は山の中の一方通行みたいな道なき道も走ったし、崖ギリギリの「ポツンと一軒家」みたいな危険な道もこわごわ走ったことも何度もある。
こうして北信越の道路はかなり覚えた。

頼まれた企画が今完成した、まるまる2日間かかった
点滴をしたばかりだから、家に閉じこもってちょうどよい、ドジャース戦を見て、相撲を見て、食事を作って、畑もやって、そして企画も作った
ゆっくり養生して寝ているなんてできない
楽しいことに使う時間は楽しく、あっという間に寝る時間がやって来た。






「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(197) 甲越 川中島血戦 24

2024年09月12日 10時00分21秒 | 甲越軍記
 さて、此度の三方面同時の信濃侵攻は成功して、信濃の三将はみな持ち城に引きこもった。

天文十八年四月、武田晴信は「この上は、儂が自ら発向して、松本筋の諸城を攻め落とし、小笠原長時の深志城をせめるべし、木曽筋へは南部下野守、馬場民部少輔、真田弾正忠、甘利藤蔵、内藤修理正、力を合わせて木曽左頭守義昌の御岳の城を攻めよ」と命じた。

将たちは各々準備に取り掛かったが、にわかに南部下野守の出陣が取りやめられて追放の処分となった
その趣旨を尋ねると、南部下野は武田の一類にして、諸士の尊敬重く、武辺は甘利備前、板垣駿河、小山田備中、飫富兵部少輔に次ぐ覚えの人であった
しかし、その性質は己を誇り、人の功を妬み、人の善は聞き流し、悪を聞けば心地よしの人なり。

去年五月に信州に於いて保科が持つ沼大隅守の砦を攻め落とし、沼を討ち
その妻と娘を奪い取り、大隅の娘、春路はすこぶる美色の娘であったから己の妾とした
そして昼夜なく春路を寵愛すれば、春路は父の敵に毎日屈辱の蹂躙を去れていることを悔しく思うが、女の力ではこの屈強の男に抗しえず、ただただされるがままになるしかなかった。

母とも時折相談したが、下手に手を打って二人共殺されてしまうのも無念なりと思い、人の手を借りて志を果たすしかないと思い付き
下野守の家来の中に、石井藤三郎という大胆不敵な者がいた、彼を陥れて下野守を討たせようと、石井に会うたびに流し目の情を送った
しかし無骨者の石井は少しも悟らず、むなしく日を送った。

ある時、石井に多少の不首尾があったことを、短慮の南部は大いに怒り、成敗すると太刀を持ち出したが、たまたま春路はその場にいて、これをなだめすかすと、さすがの南部も愛妾春路の言葉に免じて、石井は難を逃れた
しかし石井は役職を免じられて謹慎となったが、ある夜、石井の家の戸を叩く者あり
藤三郎は怪しんで戸を開けると、十二、三歳の少女であった
石井はますます怪しく思い仔細を聞くと、少女は声を低くして「春路さまの使いにて、これより案内しますゆえ、春路さまのお部屋に忍んでまいられますように」と伝えた
藤三郎は、なんと奇怪なと思ったが、背後について、きり戸より部屋に入ると春路は待ちわびたる態度で、酒を勧めて藤三郎を泥酔いさせて耳に口を近づけて言うには「この間、私はそなたの命を救ったが、あいかわらず殿の怒りはとけておりません、そなたの命をいかにして害するか、それを考えております
私は、それを諌めても聞く耳もたず、藤三郎さま落ち度少ないのに、気の毒と思い、今夜は殿が留守なので勇気を出して、このことをお伝えしたのでございます」と囁いた。

思慮が浅い、藤三郎はこれを聞いて「ささいなことに、これほどまで怒るとは、おのれ我を害することこそ恨みである
こうなれば立ち退いて、この恨みを晴らさんでおくものか」と血眼となれば
春路は笑いながら「立ち退き賜うといえども、殿は必ずや追っ手を出して討ち取ろうとするでありましょう、そなたがいくら武辺者であって五人、十人切っても大勢には敵いませぬ、賤しき歩卒に首取られるは、あまりの屈辱ではありませぬか」と脅すと
石井は大いにため息をつき「まことに、ごもっともな仰せなり、この上はいかにこの身を振れば良いものか」と途方にくれた顔となる。

春路は声を細めて、「しばしの間、私は殿をなだめておりますから、そなたはその間に何が何でも殿を討ち給え、討って逃げたなら追っ手はかかりますまい、その時には私もお供して逃げましょう、行く末はそなたの意のままに任せましょう」と藤三郎の胸にしなだれかかれば、その妖艶さに藤三郎は酔いも手伝い、初めて春路の心を知り、愛おしく思うのであった。








大相撲秋場所

2024年09月11日 21時53分28秒 | 大相撲
 今日は我が家の畑に設置した温度計は、昼過ぎに37度を記録した
とても外仕事なんかできない。

 まだ4日目が終わったばかりで、今の成績が千秋楽まで繁栄するわけではないが、見つけた傾向だけ記しておこう。
現在4連勝は大関琴櫻、関脇大の里、関脇霧島、前頭正代の上位4人だけ、これまでの場所とは違って、番付通りの成績である
上位に力のある力士が集まり始めたと言うことであろう
新進気鋭の新小結平戸海も3勝1敗だし、三役が安定している
そんな中で大関豊昇龍と小結大栄翔、前頭筆頭隆の勝、二枚目の熱海富士、王鵬が1勝3敗苦戦している
前半戦で小結、幕内上位が三役を破るから、先場所まで荒れる場所が続いたが、最初に書いた通り、下にいた強い力士が三役に入って安定した。
このまま、大の里、琴桜には横綱になってもらいたい
貴景勝は大関再挑戦場所だったが、2連敗のあと休場になり、出場が無ければ来場所は幕内の下位にまで落ちる。
毎場所見ていても、体は限界に来ている、まだ28歳と若く、22歳半ばで大関になり6年も大関に定着していたのですね
当時は横綱やライバルに、白鵬、日馬富士、朝青龍、鶴竜、逸ノ城など強力なモンゴル力士が多くいて、なかなか横綱に手が届かなかった
ようやく上が空いたころには、ケガが悪化してきて、今度は病気との戦いになって、大関維持が精いっぱい
そして今は生きのいい若い力士が、大関、関脇に就いて彼らに勝つのも精一杯になってしまった。

豊昇龍も精彩を欠いている、どう見ても横綱に上がる資質が無い、体のばねと反応の良さ、地力と運動神経で大関を維持しているが10勝11勝が限界だ
まだまだ下から若手が押しあがってくれば、大関の地位も危うい
関脇に陥落した霧島だが、今場所はいまのところ良い、先場所も前半が良くて大関復活と思ったら、中盤から崩れてやっと8勝で関脇を守るのが精いっぱいだった。
今場所、中日まで7勝1敗で行ければ、今後再び大関に上がることはできそうだ
霧島の相撲はなにかつかみどころがない、揉みあっているうちに勝ってしまうと言う感じがする
力強さは微塵も感じられないが勝つのは、遠藤に似ている。

大の里を始め、海洋高校(新潟、能生)の若手関取が調子いい
関脇大の里4-0 幕内白熊2-2 十両嘉陽4-0 十両欧勝海3-1 と善戦している。








暑い中を抗がん剤治療

2024年09月10日 21時07分43秒 | 病気と健康
 今日は朝6時半には外の温度計は26度くらいで涼しかった、それでいつものルーティンをやってから、畑に水を撒いた。
種をまいてから、まだ3日くらいなのに一斉に発芽した、それも日陰が多いところが早い、日中ずっと陽があたっているところより温度が低いのだろう。

8時半には病院へ行って抗がん剤治療だ
三回目なのだが、三週間前には白血球、好中球が正常の最低ラインを20%も割っていたので抗がん剤治療は中止された。

待合の廊下に座っていたら、ベレー帽をかぶった小柄なおばあさんがいた
前回の時は、少し年上の高齢者だと思ったのが同級生女子だったことは書いてが、今回は完全なおばあさんだった。
「あんたは何ガンかね」と聞くから「大腸がんのS字結腸ガン」と答えたら
「切ったんかね」とまた聞いた「切りましたよ」
それとなく話の中でどうやら、おばあさんは手術しないで、抗がん剤治療だけでやっているようだ
だから回数も薬の量も多いのだろう。

時間が来て、治療室の中に入った、先におばあさんが受付した
なんと、おばあさんはまた例の同級生だった、三週間前なのに前回よりずっと齢をとったではないか
腰も曲がって、両手を大きく開いて歩いている、頭のベレー帽は抗がん剤で毛が薄くなったからだろう、前回かつらの話をしていたから
顔も一回り小さくなったし、どうみても90近い老人に見えた、ただ声だけは大きくて張りがあるから、声だけ聴けば同級生だ。

病床10で看護師さんが2~3人で担当する
看護師は一人一人に体の具合や、生活状態を聞き、血圧などチェックする
その会話は嫌でも聞こえてくるので、一人一人の病状などがわかる
今日は6人で、男5人、女1人だった、2人は軽いらしく簡単な点滴と、薬だけでチェックが終わったら帰っていった。

同級生女子も遠慮のない漁場言葉で看護師さんに「風呂に入ってびっくりしたわ、しわくちゃ、顔も何もみんなしわくちゃになって90ばあさんと同じだよ
どうしたもんだろ」
たしかに私にもそう見えた、かなりきつい治療をしているんだろうなと同情した、だけど港へ賄い仕事に行っていると言うし、声もハリがあるし、元気そうだ、さすがに五黄寅の女は強いと思った
彼女は今日は風邪気味と言うことで治療が中止になって帰って行った。

隣のおじさんは「これをやると毎日体がだるくて、何もやる気が起きない」と言った
看護師は「そうだよね、毒を体に入れるんだから」と衝撃的な事を言ったので、ちょっとびっくりした
でもたしかにその通りだ、抗がん剤は体を丈夫にするのではなく、結果的には弱らせる薬なのだから正しい
ガン細胞を攻撃するだけでなく、体の味方である赤血球、白血球をも攻撃する、だから戦死した血球は減るのだ
但し、毎日億単位で増えて、億単位で消滅していくのが血球だ、だから抗がん剤を中止すれば自然に増えていく、食べ物やビタミン剤などを摂取しても増えない。

9時45分に採血が終わり、検査に回って11時に担当外科医がやって来て
「問題ないですよ、順調です、今日はやりましょう」と明るく言った
そして今日は血液検査の結果、標準値に比べて少なめであはあるが、標準範囲の中に戻ったので、やることが決まった
但し、注意が必要なので今回は点滴の量と、抗ガン薬の量を2割減らした
CTの結果も心配していたが、特に問題がないと言うことだった。

点滴が全て(4種類)終わったら13時半になっていた
今回は抗がん剤点滴の後半から、今までより早く痛みがやって来た
今までは、抗がん剤点滴が終わって、次の生理食塩水投与の時に痛くなるのだが、今回は早い、そして今までは無かった右腕上腕筋肉まで痛みとピリピリ感が出て来た、21時の今も変わらず痛い
看護師さんが「終わりましたよ、痛みとかありませんか」といったので
右腕の痛みを言ったら、「我慢せずに途中でも言ってください、温めるとか方法がありますから」と言ってくれた
皆さんもそうだろうけど、私は戦中派の父や親方に「痛いくらい我慢しろ」と言われて育ったから、どうしても我慢してしまう
そのうちに、痛みが痛みと捉えられなくなって、(なに?この熱い感じは)とか(凍える感じは?)(ずーんと来た感覚は?)
という、感覚に置き換えてしまう癖がある。
「我慢して日常生活に支障が起きては困りますからね、それと抗がん剤で血管が細くなるんですよ」
腕の痛みや、ピリピリ感は血管に沿って起きている、触るとピリピリ、少し面白いが、そうも言ってられない。

女房殿に迎えを頼んだ、來るまでの間に近くのスーパーで安い牛肉を買いに行った、オーストラリア産のすき焼き用が安かったので買ってきたが、夕食にプチすき焼きを作った
体がだるい、頭ももやッとしているが、野菜を切って炒め、豆腐と肉を焼き、タレもオリジナルで少し甘口に作って煮込んだ、牛肉は外国産だが一人前で350円だから贅沢は言えない
和牛とは天と穴ぼこくらいの差があるが、ごく普通の晩飯は是で充分、脂身は無いし、口の中で溶けて無くならないが、割と柔らかく肉のうまみもあった。

やはり初日は暑さもあって体は参っているのだろう、これでPCやめて、22時前には寝ます。






「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(196) 甲越 川中島血戦 23

2024年09月10日 09時35分06秒 | 甲越軍記
 小幡孫治郎、齢は十六歳 馬を走らせ丸山から弓長十丈(約23m)ばかりで馬を降り、槍をとって大音声にて「小幡織部正虎盛が一子、小幡孫治郎なり、丸山殿の勇猛はかねてより耳に聞こえるところである、潔く勝負を決し、敵味方の人に見物させん」
と、遮二無二突いてかかった
丸山はせせら笑って「くちばしの黄色い小僧がさかしき振る舞いなり」と言いながら、槍をしごいて孫治郎の槍先を軽く反らした
勇猛の丸山、壮士の小幡、徒歩立ちの勝負であれば飛び上がり、潜り込んで上段下段と突き合わす。

小幡の家来、遠藤弥市に歩卒五人は、孫治郎に力合わせんと懸かれば、丸山の家来、保原源左衛門に歩卒五人は道を遮り、遠藤に渡り合う
丸山、小幡は丘の上にて芝を踏み、火花散らして戦えど、丸山の猛勢はややもすれば孫治郎を圧倒して、はやる孫治郎を圧倒する。

孫治郎は突き立てられて、腕のはずれ、肘の曲がり二か所、太股に一か所の三か所に痛手を被る
心ならず弓手の芝に突き上げられて危うき様なれば、小幡に続き、横田十郎兵衛尉が「小幡を救え」とニ、三十騎を引き連れて一文字に押しかかる
丸山は、これを尻目に見て小幡から離れて「馬引け」と命じて飛び乗ると、小幡は痛手にも屈せず走りかかり、太刀を抜くより早く丸山の右の膝を力任せに切りつければ、思いのほかの深手を受けて丸山はたまらず落馬した
「得たり」と駆け寄る孫治郎を、流石は丸山、払い切りに孫治郎の太股を切る
それでも孫治郎はひるまず、乗りかかって丸山の首を切り落とした。

丸山の家来は主を討たれては叶わぬと逃げるところ、孫治郎は深手ながらも追いかけて「汝らも主を追ってお供せよ」と三人まで討ち取る
まことに比類なき働きであった。

丸山の甥、丸山肥後守は筑前守の弔い合戦をせんと武田勢に向かったが、逃げてくる味方の為に馬を進めえず、心ならずも敗兵に押されて引き上げる。

今日、武田勢が得た松本勢の首級、百七十五級を諏訪に送る、小幡孫治郎は四か所の深手を負い、甲州に治癒の為さがるところ、諏訪に立ち寄り大将晴信に面会した
晴信は戦の様子を孫治郎に尋ね、手傷の深きを見て「さすがは織部正の子なりけり」と感状に一文字の薙刀を賜れば、孫治郎は大いに面目を施して甲州に立ち帰る
また伊奈筋へ向かった、浅利、馬場、山本勘助、安間からも首数級が届けられて勝利の報告を受けた。


手相 ラッキーM線 かな?

2024年09月09日 20時42分42秒 | 宇宙.神秘
 退屈だったので、急に自分の手相を見てみようと思った
生命線くらいしか知らないので、ネットで調べたら、幸運な手相というのがいくつか紹介されていた
一つ一つ照らし合わせたら、「ラッキーM」らしき線があるのに気づいた


右手にも左手にもある、特に左手はくっきりしている
ネットによれば片手だけだと1000人に1人、両手は3、4000人に1人くらいではないかとか
どんな意味かと言えば、強運の持ち主で、幸運を呼び寄せる手相、目標をもって努力すれば大きな幸運を得ることができる手相だとか
両手だと生涯を通じて幸運を招く手相だそうだ、但し幸運を欲する意思が無ければ普通の運でしかないそうだ。

ラッキーMでも、運命線が手首から中指付け根まで伸びているものが、最上級だと言う、私のを見れば左は、中指付け根から伸びて手の下の方で生命線と交わっている、右手は中指付け根から、手首近くまで伸びて生命線と平行に伸びている
これって、かなり良いのでは?

私が唯一知っていた生命線は、子供の頃から長くて、手の付け根辺りまで伸びている、だから私はずっと長生きできると思っていた
手相を一度見てもらったら、「70歳頃に大きな分かれ道があるから、それを乗り越えれば良くなる」と言われた
まったく、その通りになった、5年の間に相次いで人生の山場が5つ連続して襲ってきた、両親の相次ぐ死、コロナで仕事をやめ、引っ越しもした、この度はガンを患い、他にも書きたくないことがある。
でも、それらを乗り越えられそうな気運になって来た、「ラッキーM」も知って、ますます運気高まる気がしている。
自ら求めれば幸運を招く相だと言うから、夢をもって何にでも挑戦して行こう。



「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(195) 甲越 川中島血戦 22

2024年09月09日 09時58分20秒 | 甲越軍記
 曲淵庄左衛門が野木備前守を見事に討ち取ると、武田勢は「したりや したりや」と大歓声を上げて、勇を振るって松本勢に襲い掛かった
松本勢は是により、大江、山住、遠山、諏訪部、鈴木、小野、深須など三十二人が討ち死にした。

武田勢の市川梅印は間道より松本勢の左に回り、在家二十余軒に火をかけて鬨を上げて攻め立てれば、松本勢は後ろをとられてはたまらぬと、崩れて三十余町も引き下がって陣を敷き、小笠原の深志城に援兵を請う使者を走らせた。

これを追って敵前にて陣営を張った武田勢は軍議を開いた
小幡織部正が申すには「我らは初戦を勝利したが、ここは敵地である
一方の松本勢は敗れたと言えども、地理に明るく、敵情を伺うに既に深志の小笠原に援兵を求めたことは明白である
ここは直ちに攻め寄せて、援兵が来る前に一揉みに揉みつぶすのが上策である」と言えば、諸将みなもっともなりと賛同する。

武田勢は夜明けを待って短兵急に攻め寄せれば、ここを落されてなるかと松本勢も死にもの狂いに戦えば、双方の死傷者は数知れず
ここに仁科日置の城主、丸山肥後守の伯父、丸山筑前守は大剛無双の勇将で数度の高名をあげ、背の高さは六尺(180cm)虎の如き風貌で歩卒八十人を率いて、小笠原に味方して原加賀守の備えに向かうところを市川梅印、原の手勢がこれを取り込んで討たんと攻めかかる
丸山勢は包まれまいと手先を回して突き立てる、丸山は馬を引きまわして遮二無二切りまわれば、市川、原の勢の死傷数多くこらえきれずに引き下がる
丸山も小勢故、これを追わず引き下がった。

しかし疲れをしらぬ丸山筑前はただ一騎にて歩卒六人だけ引き連れて、再び武田勢の備えの近くまで攻め寄せた
そして小高い丘の上に馬を休めさせて、しげしげと武田勢の陣中を見回す姿は、甲州勢を侮る不敵な面構えにて甲州勢の中にも、これを不快に思う者あり
小幡織部正は、一子孫冶郎に陣を任せて軍議に出ていたが、孫治郎は不敵な丸山筑前を見て「悪しき敵の振る舞いであろうか、これを見過ごしては我らの名折れ、敵に侮られるは必至なり」と郎従遠藤弥一郎と従者五、六人を従えて丸山目指して馬を走らせた。