80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

本日の着荷

2019-04-11 22:18:45 | 貨車
本日届いた宅配便2件。

まずこちらはジュニア模型店から届いたエンドウ製ク5000復刻版キット。車体がエンドウの金型を使ったプラ製で手すりがジュニア模型店オリジナルの金属製となっています。4両1セット。いやーいつ着工しようかな~楽しみ。。



台車は手持ちのエンドウ製TR63。1両分はスクラッチする気満々だった頃に試作した下回りに取り付け済み。せっかく作ったけどこれも取り外しですな。



と思ったら、ななんとピッタリ収まってしまってびっくり!これ、そのまんまいけるんとちゃいますか~?w




ということで2件目。箱であります。
今回初めてYAMA模型から発売されている車両収納箱を取り寄せてみました。2両用を4箱と3両用を2箱。何を入れるかは決まっていたり、いなかったり・・・。



予想したよりかなり頑丈なつくりです。色もおめでたい感じで引き出物でも入ってそう。スポンジ、プチプチ、保護紙、シールが同梱されています。値段も手ごろです。



そもそも3両用は591系用に調達したもの。17m級用の「小」ではギリギリ入らない寸法だったので20m級用の「大」にしました。スポンジをガンガン詰めないと。。




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東小金井の貨物駅跡を歩く

2019-04-08 15:02:00 | 貨車
予約していたエンドウ製ク5000復刻版(ジュニア模型店発売)の発売を知らせるメールが届きました。ものは試しと1セット(4両)のみの予約でしたが、とりあえず今日入金してきたのでブツの到着を待ちたいと思います。台車は別売りですが以前スクラッチを考えていた時に買ったストック品があるのでそれを使います。

ところでク5000といえば、私の場合、中央線東小金井駅の印象がとても強く残っています。母方の実家が東京都小金井市にあったので、子どもの頃にそこへ遊びに行く際に101系の車窓からよく見ていたものです。そのク5000を送り出した貨物駅跡が今どうなっているのか気になり、昨日の午後に突然訪ねてみることにしました。三鷹~立川間の高架化が完成し駅周辺の区画整理も進むなか、果たして当時の面影を残すものはまだ残っているのか。まったくの空振りに終わることも覚悟して出かけてみたのですが・・・


東小金井駅は国内初の地元住民全額負担による請願駅として誕生したとされます。開業は1964年(昭和39年)9月10日。なんと東京オリンピックのちょうど1ヵ月前ということになります。開業時の様子がこちらの記事(かわら版まろん通信Vol.867;小金井市)にまとめられています。南北に階段が差し掛けられた質素な橋上駅ですが、マイ・ステーションということで近所の人たちが自主清掃に励むほほえましい光景も見られますね。


上で紹介した記事の写真にも写っている貨物駅は、少し遅れて翌1965年(昭和40年)4月5日から貨物営業を開始したとされています(Wikiより)。自動車輸送全盛期と思われる10年後の1975年(昭和45年)に撮影された航空写真を見ると、赤いク5000や黒貨車が何両も停まってる様子が見て取れます。左が高尾で右が東京方面になります。

(国土地理院・空中写真(1975年1月20日撮影)より)


しかし写真の撮影から約10年後の1984年(昭和59年)12月1日には貨物営業が廃止されてしまいます(Wikiより)。トータルでわずかに20年程度しか営業しなかったことになります。高速道路網の拡充という環境変化に加え、度重なるスト・遅延による不安定な輸送、そして運賃値上げ。これらによって荷主の信頼が大きく揺らいだことが直接的な原因であったようです。

現在、跡地は周辺も含めて土地区画整理事業が行われており、上空から見るとこのような感じになっています。一部で建物が建ち始めてはいますが、半分はまだ駐車場、駐輪場、資材置き場などの暫定利用となっています。


上り線ホームから旧貨物駅方向を写したものです。手前の駐輪場の左側が緩くカーブしていて当時の面影を残しています。このあたりを中心に歩いてみることにします。



駅北口広場ごしに駅を見たところです。駅舎は見違えるほどリニューアルされましたが、駅前広場やその周辺はまだ整備途上といった感じです。



区画整理に伴う道路の付け替えを知らせる看板に旧駅舎と貨物駅跡地の形がわかる地図が貼ってありました。これを拝借して写真の撮影位置を示します。赤矢印は元々看板に書いてあったもの、番号付き黒矢印が私が書き足したものです。



写真①:駅前から旧貨物駅方向を見たところです。右の線路寄りは空地、左側は駐輪場になっています。



写真②:駐輪場の入口です。左側のコンクリート柵が敷地境界であったことは明らか。



写真③:1本裏の道路を入ってしばらく歩くとまた柵が出てきます。駅方向を振り返ったところ。自転車が並んでいる部分が一般貨物用の積み込み線跡と思われます。



写真④:さらに進んで再び駅方向を振り返ったところ。う回道路が整備され、線路脇に続いていた道路は一部が閉鎖された状態になっています。ここもじきに整地が始まるのでしょうか。



写真⑤:荷さばき場となっていた広いコンクリート敷きの部分の残骸と思われます。場所的には旧敷地の中央部あたり。



写真⑥:そのすぐ脇には新築の一戸建てが建っていたりします。昔の面影が少しずつペイントで塗りつぶされていくようです。



看板地図の外になるので撮影位置番号はありませんが、これは旧貨物駅の先端だったあたりで、JR(国鉄)の変電所の一部に食い込んだような形になっている部分です。現在はJRの関連施設の建物が建っていて昔の痕跡はありませんが、門の先の広場が1975年の航空写真でク5000が停まっていた場所をわずかに想像させます。



さて、こうして歩いてみると、レールこそ残っていませんがまだまだ昔をしのばせるものが多く残されていることがわかりました。貨物営業が廃止されてから実に35年が経過しているにも関わらずなぜこうした状況にあるのか。それは、旧貨物駅跡を含む「東小金井駅北口土地区画整理事業」が反対運動や資金不足などによってうまく進んでいないためのようです。しかし中央線が高架になって高架下には多くの店舗が立ち並び活況を呈しています。駅周辺も遅れていた時間を取り戻すように整備が進んでいくものと思われ、ク5000の居た頃を偲ぶのは今がラストチャンスではないでしょうか。


ところで今回改めて東小金井駅の設置にまつわる歴史を知り、ひとつ疑問に思う点が出てきました。冒頭に「初の住民による請願駅」と書きましたが、であれば駅舎とホームがあればよく貨物駅は必要ありません。しかも自動車輸送の拠点駅となれば企業が要望するものであって、住民が要望するたぐいのものではありません。それがなぜセットで整備されたのでしょうか?


今回、旧貨物駅跡地散策と併せて立寄った場所があります。駅から徒歩5分ほどの所にある「東小金井駅開設記念会館(マロンホール)」です。そのネーミングから開設の歴史にまつわる展示などがあるミニ資料館をイメージしたのですが、行ってみると全然違っていて、会議室、和室、ギャラリースペースなどがある普通の市立公民館でした。



せっかくなので受付の方に話を聞いたところ、詳しい事はわからないが、こちらに駅設置の経緯が書かれています・・・と、3枚つづりのレジメを手渡してくれました。



会館前には同じ文面を記した記念碑が置かれ、その詳細はこちらのサイトに詳しいので割愛しますが、念願かなって新駅設置が認められたときの状況について次のように書かれています。
「(前略)しかしこの暁光を喜びながらも続いて本会による資金金額の支払い、貨物駅併設の難題出現等苦悩の重来があって思わぬ長年月を費やしたが、(後略)」


そうです。貨物駅を併設するという話は、どうやら後から持ち出されたようなのです。
ここから先は想像になりますが、新駅を設置する条件として、あるいは資金不足を補うために貨物駅用地を差し出すように求められたのかも知れません。
時すでに高度経済成長の真っただ中。この後約20年間にわたり、国民の豊かさの象徴たる「マイカー」がク5000に乗って全国に送り出されてゆくわけですが、その陰にはこうした地元住民の努力と葛藤のドラマがあったのだなあと思うと胸が熱くなります。

(新駅設置の功労者 宮崎金吉氏胸像と記念碑;東小金井駅開設記念会館(マロンホール)玄関前)


東小金井はいま、武蔵小金井の"ムサコ"と並んで"ヒガコ"の愛称で親しまれているとのこと。駅周辺はまだ空地と駐車場だらけの残念な風景ですが、街並み整備が完了してさらにパワーアップした"ヒガコ"が誕生したとき、新駅設置に奔走した当時の関係者の方々も枕を高くして眠れるのではないでしょうか。




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お座敷運転会

2019-04-06 22:29:07 | 運転会
げたでんクラブさんのお座敷運転会に参加させていただきました。
近所の公園の桜が満開です。




今回の持込み編成は、ED76牽引の「急行日南」(12系ハザ+20系ハネ;8割カツミ)と、KATOキハ58系+天プラキハ55の「急行うわじま」の2本のみ。なにせここ1週間、マンションのエレベーターがリニューアル工事中で重量物の運び出しができないのです。しかも線路も持参なので。。




なぜか今日の幹事さんの車両はソニック、レッドトレイン、西鉄2000系など九州しばり。そのような話はぜんぜん聞いてませんでしたが(笑)、偶然とはいえ急行日南で"追っかけ参戦"できてよかったです。




そしてこれは運転用ではありませんが、せっかくのびのびと線路が広げられる機会なので製作中の591系の試運転を行いました。




結果は上々、S字カーブも高速通過!



幹事さん、ご参加の皆さん、本日はありがとうございました。


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591系高速試験電車の製作(14)(下回りの塗装と配線)

2019-04-04 18:30:31 | 東北方面
床下機器がひと通り揃ったので台車ともども塗装します。

実車の下回りは黒ではなくライトグレーです。高速試験車らしい華やかさを強調するため、今回はタミヤのエアモデル用塗料のラインナップから「ライトゴーストグレイ」(AS-26)を選び、より明るい感じに仕上げることにしました。色あいは青みがかった明るい艶消しグレーで、画像だと差が出にくいですが、ウォームグレー系のカツミの床下機器と比較してみると少し違うのがおわかりいただけますでしょうか。台車は中間車に履かせるDT39で、車体に干渉しないよう、枕バネ以外の上部を1mmほど削りました。




両先頭車に使用するDT42です。別パーツとなっているボルスタアンカを取り付けた状態ですが、車体と仮に組み合わせてみたところ、幅、高さともオーバー気味だったので、いったん外して削ることにしました。なお、車体が軽めなので集電シュー(車軸集電)を取り付けてあります。




ボルスタアンカの加工の様子です。奥がオリジナル、手前が削った後で、中央にある本体取付用の突起と、左側のボルスタアンカ受けの上部をそれぞれ1mm程度削っています。




床板と台車を別々に塗装し再度組み立てたところです。モーターは同じ色だと返って目立つので暗めのグレーにしてあります。動力台車にも集電シューを取り付け済み。




中間車M2の車体を被せてみました。台車とのクリアランスが確保されています。モーターは目論見どおり隠れてくれました。




続いてMc1とMc3の連接部分を作りますが試験的にMc3を先行します。本体は厚さと強度がちょうど良い感じだったのでカツミの近鉄30000系用床下機器の端材を使用。幅10mm×長さ約30mmに切り出し、センターピン部分は2段重ねにしてφ5mmの穴を開けてあります。金属板はMcへ給電するための集電板で、先端部分がセンターピンの頭に接触するように折り曲げ、本体と一緒に床板に共止めしてあります。




集電板で受けた電気は取付ネジを介して床下に引き込み、床下機器やウェイトのすき間に落とし込んだビニールコードで前頭部へ送ります。




前頭側台車の脇から再び床上へ引き込みます。




床上はこんな感じで、左が前頭側台車のセンターピンに直結した接点、右側が連接側台車から引いてきた接点となります。接点はいずれもラグ端子をL字に折り曲げたもの。




実際に連結してみましょう。Mc側をM側に乗せ掛けた状態です。接点がセンターピンの頭に当たっているのがわかるかと思います。最初、M2と同じように床下から台車ボルスタの上に接点を当てようかとも思ったのですが、金属床のM2と違って木製床では十分なクリアランスが取れないため、このような方法になりました。




Mc3の車体を被せて試運転。S字カーブも快調に通過することが確認できたので、同じ方法でMc1も作っていきたいと思います。ちなみにまだLEDが仕込めていないため、問題なく給電できているかは未確認。(汗)




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ありがとう100万アクセス!

2019-04-03 12:22:48 | 総務部
「80分の1丁目16番地」の管理人isaoです。
2009年(平成21年)9月にこのブログを立ち上げて以来約9年半、このたび100万アクセス(IP)を達成いたしました。
いつもご訪問、コメントをいただいている皆さまに心より感謝申し上げます。

2009年を振り返ってみると、民主党新政権の誕生、イチロー選手のメジャー新記録達成、新型インフルエンザの流行などがありました。
良くも悪くも新づくしだったことから「今年の漢字」には「新」が選ばれていたようです。流行語大賞は「政権交代」。。しかし期待むなしくわずか3年で再交代したのはご存知のとおり。
鉄道関係では3月に「はやぶさ」「富士」が廃止。そのほか、道頓堀川に投げ込まれて行方不明だったカーネルサンダース人形が発見された、なんてニュースもあったようです。

ブログの初投稿は2009年9月13日でした。
それまでは色々な方のブログやホームページにアップされた模型製作記などをむさぼるように読み、その都度深い感銘を受ける日々でした。
苦労し、工夫し、そして美しく組み上がっていく過程を豊富な画像と作者の個性あふれる文章で楽しめる。これは、どの鉄道雑誌、模型雑誌にもない魅力でした。
こうした「作る楽しさ」を伝える立場になれたら、今まで教えていただいたことへの恩返しができたら・・・。
少し大げさにはなりますが、そういった思いが本ブログ立ち上げの動機になっています。
時として微細にわたる製作過程の写真を多めに載せているのはこうした思いを反映したものです。もっとも最近はいささか手抜き気味ですが...爆汗

初投稿の記事の最後にはこう記してあります。
「本ブログは製作モチベーションを維持し、むだな仕掛品の山を築かないために存在する!といっても過言ではありません。」
前半は正しい。
しかし後半は顔から火が出る思いで読み返しています。
この10年で仕掛品が減ったのか増えたのか?
このあたりについては読者の皆さんの方が数倍詳しいかと思います。。

そして声を大にして言いたい。

ブログは仕掛品製造機だ!!


では、間もなく始まる令和時代も「80分の1丁目16番地」をどうぞよろしくお願いいたします。


(E353系あずさ15号/2019.3.31 東中野~中野間にて)


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