こんにちは、国立市体育協会事業部所属の石井伸之です。
本日は午前中に青柳地域を中心に市議会通信92号を配布すると、土曜日の午前中ということもあって様々な方に「ご苦労様」「頑張ってね」というような温かい声を掛けていただくと本当に有り難い限りです。
帰宅してからは3月7日に行う一般質問の原稿作成を行い、午後3時からは国立市体育協会主催で行われる、市民スポーツ講演会ということで、オリンピック金メダリスト三宅義信さんの講演会に行くとと大和議員も体育館に入るところでした。
午後3時となり、まずは三宅さんの活躍が記された映像が流れ、私の生まれていない東京オリンピックやメキシコオリンピックで金メダルに輝いた際の重量挙げが映し出されておりました。

映像が終了した後に三宅さんが登場し、講演会の開始です。
3年前にも三宅さんの講演を聞きましたが、今回は別の角度からの話となっておりました。

その中で、特に印象的だったのは「3連覇のかかっていた昭和47年のミュンヘンオリンピックでは、欲が出たから負けた」という一言です。
優勝を狙うということそのものが「欲」と同類項ではないかと錯覚しますが「欲」を出すと、無理をしてしまい怪我の原因や慢心に繋がると言われ、マンネリ化してしまったということも失敗の一つに挙げていました。

今までの大会は全て5分前の精神で、入場時間やルールを含め、全ての大会運営にかかわる部分を網羅していたそうですが、ミュンヘンでは監督に任せてしまったことにより、出場時間を勘違いしてしまい、準備時間がいつもとは足りなかったという失敗もあったそうです。

三宅さんの話では、欲を出さずに現状を維持して練習を積み重ねた結果として勝利があるそうです。
4年に一度のオリンピックは1460日に一度の大会であり、1460日の行、勝負は一瞬の行、と言われると、何だか選挙に通じるものがあるように感じます。

逆に初めてのオリンピックで金メダルに輝いた東京オリンピックでは「三宅は金メダルを絶対に取れる」という大きな大きなプレッシャーに打ち勝つことの辛さや苦しさを本音で語っていただきました。
その際には、精神修行から、栄養学の大切さ、減量の厳しさ、練習方法の工夫まで、ありとあらゆる準備を行ったそうです。
そして、いざ東京オリンピックでは、両親の為、親戚の為、ウエイトリフティングの為、日本の国の為にという思いで、ウエイトを付けた鉄の棒が自然と手に吸い付いてくる感覚があり「これは上がる」という感覚があったといわれておりました。
ちなみに、三宅さんがどうやってウエイトリフティングに出会ったかというと、学生時代柔道の練習にウエイトリフティングが良いと言われ、練習していると周りから「筋が良いので、こちらをやってみては」という声から、大会に出場すると3位に入賞したことからだったそうです。
さらに、東京国体を成功させるためには、全国からやってくる大勢の選手団や関係者、観客といった方々へいらっしゃいませという気持ちを忘れないでほしいと言われておりました。
何と言っても気配り、目配りが重要だそうです。
三宅さんの話は聞いていて心が伝わるというか、心に響く話しぶりで、正味1時間半の講演があっという間に感じました。
昨年はがんに罹り、闘病生活をされていたそうですが、そういった影が全く見えず、元気溌剌で73歳とは到底思えません。
これからも三宅義信さんには、ウエイトリフティングの講演をしていただきたいと思います。

本日は午前中に青柳地域を中心に市議会通信92号を配布すると、土曜日の午前中ということもあって様々な方に「ご苦労様」「頑張ってね」というような温かい声を掛けていただくと本当に有り難い限りです。
帰宅してからは3月7日に行う一般質問の原稿作成を行い、午後3時からは国立市体育協会主催で行われる、市民スポーツ講演会ということで、オリンピック金メダリスト三宅義信さんの講演会に行くとと大和議員も体育館に入るところでした。
午後3時となり、まずは三宅さんの活躍が記された映像が流れ、私の生まれていない東京オリンピックやメキシコオリンピックで金メダルに輝いた際の重量挙げが映し出されておりました。

映像が終了した後に三宅さんが登場し、講演会の開始です。
3年前にも三宅さんの講演を聞きましたが、今回は別の角度からの話となっておりました。

その中で、特に印象的だったのは「3連覇のかかっていた昭和47年のミュンヘンオリンピックでは、欲が出たから負けた」という一言です。
優勝を狙うということそのものが「欲」と同類項ではないかと錯覚しますが「欲」を出すと、無理をしてしまい怪我の原因や慢心に繋がると言われ、マンネリ化してしまったということも失敗の一つに挙げていました。

今までの大会は全て5分前の精神で、入場時間やルールを含め、全ての大会運営にかかわる部分を網羅していたそうですが、ミュンヘンでは監督に任せてしまったことにより、出場時間を勘違いしてしまい、準備時間がいつもとは足りなかったという失敗もあったそうです。

三宅さんの話では、欲を出さずに現状を維持して練習を積み重ねた結果として勝利があるそうです。
4年に一度のオリンピックは1460日に一度の大会であり、1460日の行、勝負は一瞬の行、と言われると、何だか選挙に通じるものがあるように感じます。

逆に初めてのオリンピックで金メダルに輝いた東京オリンピックでは「三宅は金メダルを絶対に取れる」という大きな大きなプレッシャーに打ち勝つことの辛さや苦しさを本音で語っていただきました。
その際には、精神修行から、栄養学の大切さ、減量の厳しさ、練習方法の工夫まで、ありとあらゆる準備を行ったそうです。
そして、いざ東京オリンピックでは、両親の為、親戚の為、ウエイトリフティングの為、日本の国の為にという思いで、ウエイトを付けた鉄の棒が自然と手に吸い付いてくる感覚があり「これは上がる」という感覚があったといわれておりました。
ちなみに、三宅さんがどうやってウエイトリフティングに出会ったかというと、学生時代柔道の練習にウエイトリフティングが良いと言われ、練習していると周りから「筋が良いので、こちらをやってみては」という声から、大会に出場すると3位に入賞したことからだったそうです。
さらに、東京国体を成功させるためには、全国からやってくる大勢の選手団や関係者、観客といった方々へいらっしゃいませという気持ちを忘れないでほしいと言われておりました。
何と言っても気配り、目配りが重要だそうです。
三宅さんの話は聞いていて心が伝わるというか、心に響く話しぶりで、正味1時間半の講演があっという間に感じました。
昨年はがんに罹り、闘病生活をされていたそうですが、そういった影が全く見えず、元気溌剌で73歳とは到底思えません。
これからも三宅義信さんには、ウエイトリフティングの講演をしていただきたいと思います。
