アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨夕から今朝にかけて箱根仙石原(写真)の、電波の届かない企業の研修所にいたため、今、小田原の喫茶店でアップしています。

お陰様で昨晩、今朝(5時)の温泉を満喫できました。



さて、「人間アドラー」を巡ってのクイズに対する第7回目の解答です。 クイズの問題は、下記のとおりでした。

7.アドラーは、⒜医学博士だった。 ⒝博士号を持っていなかった。



答えは、⒝博士号を持っていなかった、です。


『アドラーの生涯』(エドワード・ホフマン著、岸見一郎訳、金子書房)では、「1895年11月22日に(アドラーに)医学博士の学位が与えられた」と訳されています。

一方、『無意識の発見 下』(アンリ・エレンベルガー著、木村敏・中井久夫監訳、弘文堂)では、「1895年11月22日に医学士の学位が授与された」と訳されています。

厳密に言うと、アドラーが授与されたのは、「医学士」であって「医学博士」ではありません。

アドラーの友人でもあり、アドラーの伝記作家でもあるカール・フルトミュラーは、ハインツ・アンスバッハー/ロワナ・アンスバッハー編著の『優越性と共同体感覚』(“Superiority and Social Interest”、写真)の巻末のアドラーの伝記でアドラーの著書『器官劣等性の研究』にまつわる話として、次のように記述しています。



「若い一般開業医(young general practitioner)によってこのような専門書が書かれたことは、極めて異例なことでした。さらには、医師(medical doctor)の他には何も学術的な身分を持たない著者の本がたちまち専門家の関心を勝ち得たことも異例でした」(P.340)

もしかしたら晩年アメリカの地でどこかの大学から「名誉博士」の学位を得たことがあるかどうか知りませんが、アドラーが医学博士でなかったのは確かです。

それではアドラーがなぜ「アドラー博士」と称されるのでしょうか?
それは、“medical doctor”(医師)と“doctor with a major in medicine”(医学博士)とは、ともに“doctor”であるからです。

“Doctor Adler”と英語で表記されると、「医師」なのか「医学博士」か識別不能なのです。

以上から「アドラーは、医師ではあったけれども医学博士ではなかった」ということになります。


(注)問題を見るには、5月22日の「アドラーを読もう(16)アドラー・クイズに答えよう①」(http://blog.goo.ne.jp/iwai-humanguild/d/20080522)をご覧ください。

 

<お目休めコーナー>  32歳になる息子撮影の海中写真③




<研修所の庭で撮影した花>



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