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アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



無意識の発見 下―力動精神医学発達史
アンリ・エレンベルガー
弘文堂

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「人間アドラー」を巡ってのクイズに対する第1回目の解答です。

クイズの問題は、下記のとおりでしたね。


1.アドラーは、⒜オーストリア人、⒝ハンガリー人として生まれた。


答えは、⒝のハンガリー人です。


欧米において心理学の3大巨頭と言われる「フロイト・アドラー・ユング」の中で相対的に知名度の低かったアドラーの名を高めた精神医学史家のアンリ・エレンベルガーの
『無意識の発見 下』(1970、木村敏・中井久夫監訳、弘文堂)には次のように書かれています。

1870
27日にウィーン郊外のルドルフスハイムで生まれたアドラーは、「オーストリア人ではなくハンガリー人として登録され、ハンガリー語を話さないのに、ハンガリー国民であり、ウィーンではオーストリア人にしか認められないいろいろな権利を与えられなかった(彼は1911年にようやくオーストリアの市民権を得た)」P198

189641日から930日まで、兵役の残り半分を務めるためにハンガリー人部隊に入隊し、プレスブルクの第18陸軍病院にアラダール・アドレルというハンガリー名で勤務した」P202

ということは、オーストリアのウィーン郊外で生まれたアドラーは、戸籍上は、ハンガリー人として生まれて、41歳までハンガリー人として育ったことになります。

ただし、下の地図をご覧いただくと分かるように、当時は、今のオーストリアのイメージではなく、オーストリア=ハンガリー帝国だったことも世界史の知識として覚えておかれると便利です。


 

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