おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
12月23日、24日に名古屋でアドラー心理学ベーシック・コース を行っていた際に「権利と責任」について質問がありましたので、その点を明確にしました。
ポイントは
1.責任のない権利はない。権利のない責任もない。
2.権利と責任はコインの裏表のようなもの。
3.権利と責任は等価
というところです。
過去の巻頭言のシリーズの10回目として権利と責任に言及した部分をコピペしておきます。
過去の巻頭言から(10):権利と責任の教育を(2002年5月号)
ここ最近、というか数十年の風潮をみると、盛んに「権利」「権利」といろいろなところで、さまざまな権利主張が行われているのを見聞きしています。
不当にも権利を持たなかった人々が新たに権利を認められるのは、それはそれで好ましいことではあると思います。
しかし、すでに権利を十分持っているはずの人が、ことさらに権利を強く主張する場面に出くわすと、やや首を傾げざるを得ないこともあります。
アドラー心理学の文献を読むと、権利という言葉はあまり見られず、逆に「責任」が強調されます。
ヒューマン・ギルドで開発・普及してきた子どもの対人関係セミナーAPPLEでは、かなりのスペースを権利と責任に割いていて、リーダーをしていて大人達よりも子ども達が素直に理解するのを知るのが楽しみです。
権利と責任に関しては、恐らく法律学が一番このことに論究していると思うのですが、私が大学時代に専攻していた経営学では、責任と権限というかたちで伝えています。
今回は、大学時代に読んだ本をもとに権利と責任について皆さんと一緒に考えてみることにしましょう。
皆様はどうか「権限」を権利に置き換えてお読み取りいただきたいと存じます。
『経営組織』(A.ブラウン著、日本生産性本部)の「組織の諸原則」から無作為に責任と権限に言及した数項目を引用してみることにしましょう。
○各責任には、これと同量の権限が付着する。
○責任は、もっぱら個々人に帰着する。
○各責任は、人間本来の能力を顧慮して規定しなければならない。
○責任はすべて、これを遂行する人の力量を越えてはならない。
○各責任は、これを遂行する人の全力量を用いるものでなければならない。
まず、権利と責任は同量(等価)だということです。
大きな権利主張に小さな責任ということはあり得ないし、逆に、小さな権利主張に大きな責任というのもないのです。
大きな権利主張には、それに伴う大きな責任を担わなければなりません。
第2に、「みんなで責任を取りましょう」という連帯責任は、無責任を教えることになるのかもしれません。
第3に、みんなが同じ量の責任、権利ということもあり得ないのです。
責任を担える量に応じて権利にも大小があるのです。
もっともっとお伝えしたいことがあるのですが、今回はこのくらいにしておき、皆様への私からの問題提起と受け止めていただき、権利と責任に関して多くの方々からご投稿いただくのを楽しみにしております。
権利と責任の教育について議論しましょう。
◆過去のブログでは、同様のテーマで次のブログが参考になります。
2008年4月15日付けブログ あえて「異論」を唱える!
2009年8月10日付けブログ 「子どもの社会性訓練プログラム(APPLE)」終わる
<お目休めコーナー>12月の花(26)
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