アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

今日(12月29日)からは年末・年始の休み。
1週間も連続して休める、貴重な期間です。
そのためじっくり眠ることができました。

昨日(12月28日)の午後は、カミさんにつき合ってもらって、私が主に大学時代を過ごした場所を放浪しました。

スタートは、 放生寺
ここは、1641年(寛永18年)に穴八幡宮(高田八幡)の別当寺として同神社の隣に創建された高野山真言宗準別格本山のお寺
こちらは大学時代とあまり関係がありません。

放生寺 から多くの古本屋が立ち並ぶ早稲田通りを経て、私が大学3年~4年生の時期に住んでいた古いアパートに。

4畳半一間で1969年~70年の頃の南栄荘の家賃は7,500円。
この部屋に野郎どもが8人寝たことがあります。

当時は諏訪町の住所表記でしたが、西早稲田2丁目になっていました。

当時から築30年以上のアパートで、2階に住んでいた当時の窓が見えました。

炊事場があってもトイレは共有。

2年間で布団を乾したのはほんの数回。

通っていた銭湯も健在でした。

私は、このアパートから7分ほど歩いて、大学に通っていました。
困ったのは、突然誰かが訪れることがあったことです。

家に帰ったら、失恋した後輩が座っていて、相談に乗ったこともありました。

韓国からの留学生の李君もよく来ていました。

続いて、明治通りを横断して南栄荘から歩いて5分ほどの諏訪神社に。

不思議なことに大学時代にこの神社に来たことがなかったのでした。

大学3~4年生の時は、大学受験時代以上の勉強していました。
経営学が面白くて仕方がなかったのです。
中小企業診断士の受験勉強も大学4年生の時から始めていました。

西早稲田から地下鉄の副都心線に乗って1駅の雑司ヶ谷に行き、鬼子母神に。

ここからのリードはカミさん。

カミさんはタクロウを宿している時にこのお寺で腹帯を巻き、その後もタクロウと来たことがあったようです。

境内にはお稲荷さんもありました。

完全なデートモードです。

よくぞデートにつき合ってくれたカミさんです。

雑司ヶ谷墓地を横に見て、私が大学1~2年の住んでいたアパートの跡に。

細い道を入った奥です。

仕送りは毎月2万円で、家賃は6,300円でした。

小学校5年生の時期から共に野球をやっていて、M君はそのまま作新学院で野球をやり、早稲田大学の野球部に入りました(学部は社会科学部)。
中学を最後に野球をやめていた私は、県立高校を経て、同じ早稲田に(商学部)。

M君の同期には矢沢、荒川というプロに入った選手がライバルとして存在し、彼は1年の途中で退部。

2つの4畳半に2人で住んでいて、郷里の友人たちやM君の友達が頻繁に訪れ、食事を要求するので、自炊をしていた私たちはメニューを作り、料金を徴収していました。

M君のお母さんは、過保護でしょっちゅうこのアパートに来ていました。

M君の3歳上のお姉さんまで友達数人を連れてやって来て、1部屋を占拠して朝までおしゃべりをするのは迷惑千番でした。

私は母親は、たった1回来たきり。
それも部屋に上がらず、玄関で「こんな汚いところに住んでいるの」のひと言を残して帰ってしまいました。

うちの母親は末子の私に放任主義。
だから気楽でした。

地図を見ると、菊地寛の旧宅跡が近くにあることを発見しましたが、学生時代は知ることもありませんでした。

この当時のアパートは、日本女子大の学生寮の近くにあり、通学路も日本女子大の脇を通り、田中角栄邸を正面に見て、日本女子大の正門を右手に見て坂を降りていくのですが、日本女子大の学生とは、まったくご縁のない青春でした。

 
(日本女子大正門)

それだけでなく彼女もいない大学生の前半だったのです。

女性パートナー付きのダンスパーティ券を兄の友人のKさんから購入し、新宿のダンススタジオで数回のレッスンで臨んだダンスパーティ。
K女子大学の女性と濃厚なチークダンスに及んだのですが、女性にオクテの私はその後のアプローチ法を知らず。
次の進展に至りませんでした。

そんなことを思い出した私は、カミさんに他のことはべらべらしゃべっていたのですが、この話はせず。

早稲田大学の近くに来たら、カミさん主導で Good Morning Cafe で一休み。

電車1駅を除くと、ずっと3時間も歩き続けていた私たちでした。

カフェオレにミントパフェをいただき、ご満悦の私でした(カミさんは紅茶とストロベリームースタルト)。

まるで青春時代を取り戻すような気分で大学時代の土地を離れて、地元に。

4年間この大学にかなり真面目に通ったのですが、すべて徒歩通学。
正門をから通学したことはありませんでした。

 新宿で買い物をして、東中野駅近くの居酒屋で夕食。

暗かった青春時代の反動の、充実した現在をよきパートナーと共に過ごせるありがたみを感じた半日でした。

カミさんは、ふだん食べ物にうるさいのですが、この日は私を甘やかしてくれました。

つまらない話につき合ってここまで読んでくれたあなたに感謝です。

あなたの青春時代はいかがでした?
歩きながら回顧してみるのも楽しいものですよ。
是非、パートナーとご一緒に。

◆カミさんのブログ 夫の青春を辿った日 をご参照のほど。
同じ体験をしても見方が違うものです。

<お目休めコーナー>12月の花(29)

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