専業作家を世に送り出し経営危機のオペラ座を救った怪人タコ博士から反骨の新聞人まで、19世紀パリにおいて「黒い獣」(憎まれっ子)と忌み嫌われた、節操のないジャーナリズムの成功者たちの人生を抜き書きした列伝。
中でも紙幅の半分を費やしているのが、大衆娯楽紙フィガロの創始者であるジャン=イポリット・ド・ヴィルメサン。
「面白ければ、すべてよし」
フィガロの編集方針。
職を転々としたあげくパリに出てきたヴィルメサンは、「およそ仕事というものを何ひとつ知らないので、いかなる先入観にも惑わされることがない」と楽天的にかまえ、思いつきからファッション・モード紙を創設。香水メーカー・ゲランを取り込み、でっち上げの広告記事で売上を伸ばしていきます。彼には文才はないけれど、クライアントの要望を的確に反映させる広告マンであり、顧客心理を巧みについた営業マンだったののです。
そして、彼は自紙の批評欄に論争を巻き起こします。彼は文芸や演劇の批評に手心を加えないばかりでなく、フィガロ紙そのものへの批判すら受け止めました。でも、それは客観性とか公正さにこだわったからではなく、単に「読者がその方が喜ぶから」だったのです。
【十九世紀パリ怪人伝】【鹿島茂】【ヴェロン】【ミヨー】【アヴァス】【フィリポン】【ヴィルメサン】
中でも紙幅の半分を費やしているのが、大衆娯楽紙フィガロの創始者であるジャン=イポリット・ド・ヴィルメサン。
「面白ければ、すべてよし」
フィガロの編集方針。
職を転々としたあげくパリに出てきたヴィルメサンは、「およそ仕事というものを何ひとつ知らないので、いかなる先入観にも惑わされることがない」と楽天的にかまえ、思いつきからファッション・モード紙を創設。香水メーカー・ゲランを取り込み、でっち上げの広告記事で売上を伸ばしていきます。彼には文才はないけれど、クライアントの要望を的確に反映させる広告マンであり、顧客心理を巧みについた営業マンだったののです。
そして、彼は自紙の批評欄に論争を巻き起こします。彼は文芸や演劇の批評に手心を加えないばかりでなく、フィガロ紙そのものへの批判すら受け止めました。でも、それは客観性とか公正さにこだわったからではなく、単に「読者がその方が喜ぶから」だったのです。
【十九世紀パリ怪人伝】【鹿島茂】【ヴェロン】【ミヨー】【アヴァス】【フィリポン】【ヴィルメサン】