街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

如見第二号古墳 (熊本県)

2021-05-31 00:10:00 | 熊本 古墳フォトチャンネル

如見第二号古墳(熊本県)

 

 

案内は如見水の前にあるのだが見逃してしまうかもしれない。如見水の前を通って100m程行けば右側に見える。全体を見ることは出来ないが、所謂、鬼の岩屋式の石室だと判ると思う。思うと書いたのは見ようによっては祠の為の岩屋かなと・・標識があるのでそれだということである。周囲に点在する「鬼の岩屋式」の石室ではなく、所謂巨石石室タイプで立派な羨門を持っている。

市指定なのだが・・6世紀半ばごろから7世紀はじめくらいに築造されていると思われる。周辺には谷川古墳群、行西古墳群が所在しており、当地域はこの様な古墳が集中していたと思われる。

 

如見第二号古墳位置

 

当該ブログの記事は令和3年(2021)5月27日から30日までである。

 

谷川第一号古墳他

 

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上平原古墳 (熊本県)

2021-05-26 00:10:00 | 熊本 古墳フォトチャンネル

上平原古墳(熊本県)

 

 

桜ヶ丘墓地公苑への道路沿いに移築保存されている石室の部分である。 周辺地域で見られるような石室の構造だったようだが、ここではその状況すら垣間見ることが出来ない。保存されているだけでも良かったというべきか。少し南下すると谷川町に鬼の岩屋形式の古墳が点在するが、石室の構造はそれとは異なるものである。6世紀後半から7世紀初頭に築造されたようだ。 直ぐ南の山に室山古墳出土の石棺が保存されている。一旦通りに戻ってほんの少し登って行けばよい。

 

上平原古墳位置

 

当該ブログの記事は令和3年(2021)5月22日から25日までである。

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地蔵堂古墳 (熊本県)

2021-05-21 00:10:00 | 熊本 古墳フォトチャンネル

地蔵堂古墳(熊本県)

 

 

八代から宇土の間に所在する古墳探訪である。近くには大野窟古墳野津古墳群が綺羅星の如く並ぶ。そんな中案内も説明もなくひっそりと存在するのが当該古墳である。周囲は墓地として使用されており封土は削平され、或は土取りされ、僅かに石材が石室の存在を示している。恐らくは6世紀後半には築造されたであろう。この様な古墳が存在した場所ではあったろうが・・道が狭いので車でここまで来るのは遠慮していただきたい。

 

地蔵堂古墳位置

 

当該ブログの記事は令和3年(2021)5月15日から20日までである。

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姫の城古墳 (熊本県)

2021-05-14 00:10:00 | 熊本 古墳フォトチャンネル

姫の城古墳(熊本県)

 

 

「姫ノ城古墳は、墳丘長86m、周濠を含めた総長は115mで、墳丘には葺石、埴輪を有する。主体部は未確認であるが、レーダー探査の結果、横穴式石室である可能性が考えられている。この古墳を特徴づけるものは石製表飾品である。古くから靫2点、衣笠の笠部6点及びその支柱部3点、石見型盾5点等の出土が知られていたが、今回の調査でも石見型盾2点が発見され、これは福岡県岩戸山古墳に次ぐ点数である。時期は6世紀初頭から前半頃と見られる。」国指定文化財データベースより抜粋。

野津古墳群4基中(端の城古墳中の城古墳物見櫓古墳、姫の城古墳)最も北に所在している前方後円墳である。ここに書かれてあるようにその周濠は幅が広い。中の城古墳ほど目を見張るものではないが二番目に大きく見応えは十分にある。横穴式石室を持つのだろうがどのあたりなのか判らない。これほどの規模となると巨石石室なのだろうな。残念だな。しかし、いいところだよ。遊びにおいで。

 

姫の城古墳位置 

 

当該ブログの記事は令和3年(2021)5月5日から13日までである。

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物見櫓古墳 (熊本県)

2021-05-04 00:10:00 | 熊本 古墳フォトチャンネル

物見櫓古墳(熊本県)

 

 

「物見櫓古墳は、本古墳群の中では最も小さく、墳丘長62mで周濠も伴わない。墳丘には葺石を持つが、埴輪は確認されていない。埋葬施設は盗掘を受けていたが、石の抜き取り跡から複室構造の横穴式石室で全長11m前後になるものと推定されている。副葬品は多数の陶質土器や須恵器、鉄鏃、鉄矛、挂甲、胡?、馬具、ヤリガンナ、ガラス玉、垂飾付耳飾などで、6世紀初頭頃の築造と見られる。」国指定文化財データベースより抜粋。 59.4mと書かれた資料もあるがこだわる必要はなかろうが、野津古墳群中最後に築造されたもので、6世紀中頃から後半にかけてのものと思われる。しかも、他3基が周溝、周堤を持つのだが、当該古墳はこれらが無い。御多分に漏れず石室石材など見ることが出来ない。しかし、小兵ではあるものの気持ちの良い古墳である。これくらいの規模の前方後円墳が良いぞ。古墳散策には持って来いの場所である。遊びにおいで。

 

物見櫓古墳位置

 

当該ブログの記事は令和3年(2021)4月26日から5月3日までである。

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中の城古墳 (熊本県)

2021-04-25 00:10:00 | 熊本 古墳フォトチャンネル

中の城古墳(熊本県)

 

 

「中ノ城古墳は本古墳群の中では最も規模が大きく、墳丘長102m、周濠を含めた総長は117mに達する。墳丘は3段築成で、葺石、盾持人物埴輪等とともに石製表飾品として衣笠の笠部1点が出土した。埋葬施設は石屋形を伴う横穴式石室で、盗掘を受けていたが甲冑、鉄刀、馬具、ガラス玉等が確認された。時期は6世紀前半頃と見られる。」これはデータベースから抜粋したものであるが・・墳丘は三段築盛(築成)と書いてはあるのだが、実際そうなのか疑問だ。5段築盛に見えるけどな。下段二段はテラスなのかそれとも・・周溝も持つのだから現状と説明が合わない。また、横穴式石室とあるのだが・・何処か。6世紀前半ごろに築造されていることからすれば竪穴式だと思うのだがな・・ まあそれでも凄い前方後円墳だろ。九州ではここでしか見ることが出来ないと思う。あちこち見て廻ったがここは素晴らしいぞ。

 

中の城古墳位置

 

当該ブログの記事は令和3年(2021)4月11日から24日までである。

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端の城古墳 (熊本県)

2021-04-10 00:10:00 | 熊本 古墳フォトチャンネル

端の城古墳(熊本県)

 

 

野津古墳群は4基の前方後円墳で形成されている。その中で最も南端に位置するのが当該古墳である。全長66.8m 6世紀半ばに築造されたとする。それであれば主体部は横穴式石室を持つものと考えられるのだが、その説明などは無い。墳頂や後円部を見るのだが・・墳頂に竪穴式の様な形跡があるのでぎりぎり竪穴式かも判らない。周溝と周堤を持っていたようだが判りにくいかもしれないな。 当該古墳はなかなか秀麗な前方後円墳なのだが、もう少し間伐してもらえれば有り難いのだがな。 ずっと下の道路端に車を止めて歩いて来たが途中の道が狭いので車では気をつけて頂きたい。車を止めるところは十分にある。 ここの様に前方後円墳が集中して所在するのは珍しい。面白いところだから、今からの季節は良いね。

 

端の城古墳位置

 

当該ブログの記事は令和3年(2021)3月30日から4月9日までである。

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野津古墳群 (熊本県)

2021-03-29 00:10:00 | 熊本 古墳フォトチャンネル

野津古墳群(熊本県)

 

 

現況4基の前方後円墳が所在する。端の城中の城姫の城物見櫓で、天堤は消滅している。これらの古墳の存在はこの地域を治めた首長たちの力を見せつけるものである。しかも、面白いことに4基とも主軸は南北をさし、築造が6世紀に集中している。ただ、消滅した天堤だけが5世紀後半と言われている。

主体部は竪穴式石室が3基で横穴式石室を持つものは物見櫓古墳くらいではと思われる。 特に中の城は6世紀初めに築造され、周溝を持ち、全長は102mである。この古墳は他では見ることが出来ないほどに見応えがある古墳である。散歩するには持って来いの場所だから一度はおいで。

 

野津古墳群位置

 

当該ブログの記事は令和3年(2021)3月24日から28日までである。

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有佐貝塚大塚古墳 (熊本県)

2021-03-23 00:10:00 | 熊本 古墳フォトチャンネル

有佐貝塚大塚古墳(熊本県)

 

 

面白い史跡である。縄文時代中期から晩期(弥生時代初期から中期までを含むか)にかけて利用されたゴミ捨て場である。しかもある程度内陸部と言うからユニークな場所である。それから数百年後この場所を利用して古墳を築造している。しかも4世紀末期から5世紀初めにかけてで、この地域では初期の前方後円墳である。現状ではその形状を確認することは難しいが・・足元には白化した無数の貝殻が見られる。写真の貝殻がそれである。
 
 
 
 
当該ブログの記事は令和3年(2021)3月20日から22日までである。
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谷川古墳群第1号 他 (熊本県)

2021-03-19 00:10:00 | 熊本 古墳フォトチャンネル

谷川古墳群第1号 第2号 門前古墳出土石材(熊本県)

 

 

封土を失った石室が保存されている。所謂、鬼の岩屋式の石室である。八代にも同様の石室を見ることが出来る。当該地域には80余基ほどの古墳が所在したとのことではあるが、現在は20余基ほどが確認されている。しかしながら見学できる古墳は数基である。6世紀半ばから7世紀初めまでに築造されている。少し山手に向かうと私有地内に2号墳がある。ここにはちゃんと説明看板があるので読んで頂ければ有難い。 また、前面道路は狭いので車で来て見学と言う訳にはいかないのでマナーを守って頂ければと思う。

まず先に言っておかねばならないことがある。当該古墳は私有地内にあるので勝手に入って行ってはいけない。道から出来るだけの見学をしないといけない。まあ変人と思われても遺憾ともし難いな。 御覧になってお判りの様に「鬼の岩屋」式の石室である。すぐ手前にこれより大きな1号墳があるが、当該地域に所在している古墳は全てこの様な形式である。まだ多数の古墳があったであろうが同じ形式だったろう。総て6世紀中頃から7世紀前半に築造されたものである。 道が余りにも狭いので周辺に迷惑をかけないよう車ではご遠慮願いたい。

訪れた時はその現物がなかった。恐らくは何処かの展示会に貸し出ししているのかもしれないな。門前古墳は前方後円墳だったのだが、その説明などは無い。現物の写真は八代観光情報ホームページから拝借していることをお断りしておく。この様な装飾は熊本県内や久留米の方でも見ることができることから、相当広範囲に受け継がれているということが言えるものである。

 

谷川古墳群第1号古墳位置 

谷川古墳群第2号古墳位置

門前古墳出土石材  位置

 

当該ブログの記事は令和3年(2021)3月9日から18日までである。

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