純白のむかし水仙は如何言う訳か太陽に背を向けている。花は光を取り込むようにして太陽に向っているものだと思い込んでいたのである。向日葵は読んで字の如しで、葵傾するものである。朝顔もラッパ状の花を日に向けている。
しかし、純白の水仙はそうはいかないようだ。
この水仙が咲く神社は日吉神社で高倉(地名)にある。四方が山に囲まれ、囲まれただけではなく逼っている。ために田畑は狭く猫の額ほどと言ってよい。
由来でも書いてあるのかと何気なく看板を読んでみると暢気なものではない。
明治の初期に一揆が発生していたのである。秋月の乱、佐賀新風連の乱のようなものかと思ったが、思想絡みではなく当に生きる術の一揆であったようだ。
残念なことにこの説明文には漢字の誤用がある。「激文」とある。恐らく「檄文」=檄をとばす の間違いであろう。
昨今労働者が生抜くための模索が続いているが、手段は違えどそれは今も昔も変らないのである。