これが神功皇后御腰掛なる石である。当たり前のように何の変哲も無い石だ。
それが歴史に名を残す人(実在は問わない)が、足でも手でも掛けたならそれはもう史跡である。美々津には神武天皇が船出をする際に船を繋いでいた石がある。
それは史実かどうかはわからぬがそういういわれがあり史跡となる。
鳥取県名和には後醍醐天皇が隠岐から脱出して名和に着いたとき休憩したと言う、やはり御腰掛の石がある。史跡となっている。
どんど焼きまで少々時間があるので町中を歩いた。ご多分に漏れずシャッター通りになっている。喫茶店を探したが既に無い。寂しいアーケード街になっていた。
この場所には以前陶器屋さんがあった。そこは商店街に来た人たちの集う場所、憩いの場所となっていた。人々は都市に集中して田舎の町ではやってはいけなくなるであろう。寂しいかぎりだろう。