九州鉄道の社長がドイツ留学経験者だったことが影響したのかプロイセン(ドイツ)風の建造物となっている。開業は明治22年12月で、その後明治37年6月に博多寄りに少し移動している。久留米機関庫が廃止され鳥栖機関庫として発足し鉄道の町として栄華を極めたのである。九州の鉄道網の中心的な機関車基地となっていた。その後明治40年7月国有化された。
九州鉄道の社長がドイツ留学経験者だったことが影響したのかプロイセン(ドイツ)風の建造物となっている。開業は明治22年12月で、その後明治37年6月に博多寄りに少し移動している。久留米機関庫が廃止され鳥栖機関庫として発足し鉄道の町として栄華を極めたのである。九州の鉄道網の中心的な機関車基地となっていた。その後明治40年7月国有化された。
登らないでくださいという立札があるのでそれに従うものだが・・少し残念だ。主体部はおそらくは竪穴式石室であったろうが。
周囲を廻ってみよう。