朝の目覚めが良いな。二階の部屋から外を覗くと真下に車と自転車がある。
そういやー腹減ったな。もうすぐ7時じゃないか。朝飯は7時だったかな。
朝の目覚めが良いな。二階の部屋から外を覗くと真下に車と自転車がある。
そういやー腹減ったな。もうすぐ7時じゃないか。朝飯は7時だったかな。
久しぶりの米の飯である。飼育係としてはたまには大好物を給餌してやらねばと思っている。
ほーら、ちゃんとお礼を言っているぞ。
たんとお食べ。物怖じしない子たちだぞ。
前方部である。丁度括れの部分からである。前方部と後円部の高さは僅か1mの差しかない。
逆に括れの部分から後円部を見ている。画面真ん中を御覧になってお判りと思うが、少しの盛り上がりが見える。
不思議なことに我輩の熱中症のことはすっかり忘れているぞ。
ここで少し 日本書紀 仁徳天皇 17年 新羅が朝貢しなかった。秋9月、的臣の先祖 砥田(とだ)宿禰と・・・を遣わして朝貢せぬことを詰問された(兵を率いて新羅に赴いたのであろうか)。新羅人は恐れ入って貢を届けた。・・あわせて80艘であった。とある。この功績によって的臣の先祖 砥田(とだ)宿禰はこれらの貢物の一部を下賜されたのではないだろうか。
的を「いくは」と読んでいるから浮羽に繋がると言うことではないから、それは断っておこう。その様な名前が日本書紀に出ているということである。
当該古墳の築造が5世紀の半ばとされ、副葬品として大陸、半島系の武具、馬具、装飾品など目を見張るものがあるからだ。大和連合の一員で、かつ相当上位の者であり、当該地域の国王たる存在であったことは間違いはないからな。