賢明なる読者諸氏は既にご存知であろうが 稲荷山古墳 の所在地である
ここに上げた3枚の写真は 南大通りを東に折れて真直ぐの県道77号線 その両脇にある歩道に施されている
稲荷山古墳 獲加多支鹵大王(雄略天皇)に仕えた者の名を知ることが出来た資料(鉄剣銘文)が発見されたことはあまりにも有名である
古事記 日本書紀をみても仁徳天皇以降もっとも多くが語られているのが雄略天皇である。
また、宋書倭国伝にあって「倭王武」(倭の五王 最後の王)としても記されるのもご存知であろう。
その大王に仕えた者の墓(第1主体部の礫槨であろう)がこの地にある 一度 目に焼き付けておきたいところではあるが・・・