野毛大塚古墳(東京都世田谷区)
帆立貝式の前方後円墳で造出しをも持つ。主体部を含めて4基の埋葬施設が検出されているが、同族の男子であったろう。その総てに武器の類いが副葬されている。築造が5世紀中頃であることから倭の五王の時代である。大和連合の国として力を付けたものと思われ、大和政権がこの東国まで力を伸ばしていたことが伺える貴重な古墳であろう。5世紀の武蔵の地域を見れば蓬莱山古墳(115m)の次に来る古墳(84m)である。葺石が施され、円筒埴輪も樹立されていたようだ。周囲は公園化され人々の憩いの場所となっている。
当該ブログの記事は令和2年(2020)7月29日から8月3日までである。
東の方向には等々力渓谷3号横穴、更にその東南には御岳山古墳がある。
これら3箇所の史跡、遺跡探訪は東京にいる長男に依頼したものである。
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