開口部を正面に見て羨道左側面の石積みが判る その手前にコンクリート基礎が6箇所ある
これを建造するときに羨道右側側面を削ったのだということも判る その時に発掘でもしておれば 当該古墳が前方後円墳でなく円墳だったということが判っただろうに・・・
石室が辛うじて残されているということだな
開口部を正面に見て羨道左側面の石積みが判る その手前にコンクリート基礎が6箇所ある
これを建造するときに羨道右側側面を削ったのだということも判る その時に発掘でもしておれば 当該古墳が前方後円墳でなく円墳だったということが判っただろうに・・・
石室が辛うじて残されているということだな
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