街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

神楽

2007-11-04 09:45:02 | 街道関連
 小倉南区に沼と言う地名がある。その名の通りその昔は湖沼地帯であったのかもしれないが、現在ではそのような名残などあるべきもない。住宅地と化している。そこにこんもりと繁る所謂鎮守の森がある。ここで今日神楽が舞われるのである。この地は周りより20メートルほどの小山があり、木々が生い茂っている。
 住宅地を歩いて行くともう鉦や太鼓の音が聞こえてきた。既に神楽が始まっている。
 鳥居が建ち、その前に旗が立てられている。「男はつらいよ」でよく出てくる風景である。それこそ今にも寅さんがふらっとそこから現れてくるような感じである。
 鳥居をくぐり、参道を突き当たると神社が建つ。北を背にして南に開く。東はその小山に隠れ、南、西が開く。ここに立ち、南西に振り返ると気持ちが静まるくらいの風景である。今日初めて訪れたにも拘らず不思議な気持ちであった。
 その東側を見ると一見して前方後円墳と見間違うような小山となっている。神社などはよく古墳の上に建てられていることが多いので一瞬そう思ってしまった。
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帝踏石

2007-11-02 09:49:06 | 史跡

 朽網の地に大きな花崗岩が路頭している。「帝踏石=たいとういわ」と呼ぶ。その昔、景行天皇が土蜘蛛討伐のために戦勝祈願したといういわれの場所である。九州の地は、日本武尊、景行天皇により討伐されて平定されたようになっているようだ。しかしそれより昔、九州宮崎から神武天皇が大和に向かったという話がある。それなのに何故九州は大和政権に叛いていたのか。ゲリラ的な存在だったのか。とすれば大和政権と結びついていた豪族の権力とはどのようなものだったのであろうか。などと言っても、日本武尊、景行天皇は実在しない人物と言われているので考えてもしようがないが、面白いことに秋月街道の猪膝宿に日本武尊太刀洗の井戸、白鳥神社があり、尊にまつわる遺跡もある。また、日本武尊、景行天皇行幸により地名が生まれるなどの由縁が面白い。(写真:帝踏石 夕方だったので光が薄い。申し訳ない)

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