筑後草野を後にして往還を日田へと向かう。まだ寄るところがあるのだ。妻の母が生まれ育った地がここより近くにある。妻が幼い頃母の実家へ遊びに来たときに近くの橋の下で水遊びをしたというのである。まずそこに寄る。川の流れは変わらないものの当然のようにすっかりと様変わりしている。妻の頭の中にある風景はそのときから変わってはいないのだ。理屈では判っている。あまりの違い、いやそれからの40年余が妻の思い出を台無しにしたということなのだ。この差はあまりにも大きく妻の落胆には慰めようもない。
次に寄らねばならない箇所は珍敷塚古墳である。古墳といってもその姿は何ものも無い。装飾が施された側壁が小さな建物の中にあるだけだ。ここは日田往還の途中にあるが、はっきり言って見るも無残である。古墳本体が無い。
肥後朝顔のあと草野宿を少し歩いた足の弱った母がいるのでずんずんと歩くことは出来ない。ここ草野は日田往還(久留米~日田)の宿場町である。街道はそのまま残っているのだが街並みはさほどではない。ただそれと思わせる街並みでは十分と思われる。街道は何処でも同じように真直ぐではなく左に右にと曲線を描いて東西へ延びる。残念なことに脇道が殆どと言っていいほどなく街を廻るということが出来そうにない。はたまた国道210号と平行に走っているため抜け道のようになっており車の通りが激しい。草野に入ると道幅が狭くなるのだが車はお構いなしで走ってくるからたまったものではない。しかし悪いことばかりではない。車の流れの間隙を縫って写真を撮った。私好みの風景である。ただ写っている人物は私の母なのだが違う所に目を遣っている。須佐能袁神社がある。
横から除いてみると小さな石橋が架けられている。一枚岩のようである。下から持ち送り式で石橋を支えている。その横に説明看板がある。江戸時代末期である。読んでみると街道である。しかしそれらしいものは垣間見ることすら出来なかった。残念なことではあるが如何ともしがたい。写真に収めて山鹿に向かった。
ところがである。目的は遥かに外れて山鹿ではなかったのだ。勘違いと言うべきで、平山温泉なるところであった。温泉街ではあったが写真に収めるような場所ではなかった。しかし温泉は硫黄泉で湯の花が浮いている。千葉の御仁に言わせると今までで最高だそうだ。果たして私もその様に思った。ここにも小さい規模ではあったが石橋が架けられていた。横から見なければ判らないが正に縁の下の力持ちである。
肥後朝顔観賞会案内葉書をブログに載せ道案内も書いた。<秘密会めいてきた>ことを暴露し、隠れ家的、オタク的なところを朝顔好きな私が裾野を拡げていきたいと思ったからである。単に小学校の夏休みの宿題となる朝顔観察日記だけで終わらせてはならないのである。朝顔に思いを寄せる人間が存在することを知らしめねばならん。とは言うもののそんなに大袈裟なものではないのだが、Umeさんとの数年越しの約束(肥後朝顔の観賞会の日時を報せるということ)を果たしたかったというのが本音である。本人が行くかどうかは判らなかったが我々は万障繰り合わせて観賞とあいなった。見応え十二分、これが朝顔と疑いの眼差しとなるようなものまで、正に千変万化と言うべき朝顔の姿を目の当たりにし、十分に堪能させていただき、十分に朝顔師とも話をさせていただき、会場を後にした。その前にはそこの飼い犬のチョコとも友達になれたが。
車に辿り着いたその時である。「おやっ、どこかで見た車だな。おっ、梅さんじゃないか」窓を開け日に焼けた顔を覗かせ手を振っている。こんな偶然があるのか。思わず笑みがこぼれた。
車に辿り着いたその時である。「おやっ、どこかで見た車だな。おっ、梅さんじゃないか」窓を開け日に焼けた顔を覗かせ手を振っている。こんな偶然があるのか。思わず笑みがこぼれた。
肥後朝顔(肥後六花:菊 椿 芍薬 山茶花 菖蒲 朝顔)観賞会に顔を出した。年に一度の観賞会である。昨年は残念ながら見ることが出来なかったが今年は万障繰り合わせて、母、妻と三人で出かけたのである。
日田往還を走り、目的地に到着するも先客のため駐車スペースがなく、路上駐車となったがそれも如何ともし難い。まずは朝顔師の顔を拝見。有難いことに彼も私の顔を覚えていてくれた。開口一番 「龍田川は」である。そう「ちはやふる かみよもきかず 龍田川 からくれないに みずくくるとは」である。龍田川と言っても古典落語に出てくる関取の名前ではないことを付け加えておこう。
肥後朝顔は何種類もあって其々に風流な名前が冠されている。やはりというべきであろうか。
何故朝顔なのか。それは私のブログを見られた方ならお判りだと思うが、父の朝顔好きによって今は亡き父のその朝顔を咲かせてきた。それに呼応したかのように葉書が舞込んで来たのである。やはり何かの縁がある。今回の観賞会は私の父に対する感傷かもしれないのである。
(今月のブログは朝顔三昧かもしれない。まだまだ続く。偶然とはおもしろいということを次回に)