トンボが飛び交う草原だ
岩国城は毛利元就の孫に当る吉川広家によって築かれた。広家は毛利家から周防国玖珂、大島郡を領地として与えられ、新たに築かれたのが岩国城である。城が築かれている横山は屏風に似た険しい山で、また取りまく錦川が天然の外堀となっている。普請はおよそ12年ほどかかってしまったが、完成後二年も経ったか経ってないかの1615年(元和元年)徳川幕府による一国一城令が出されたことにより取り壊さざるをえなくなった。主家である毛利家でも長府城、山口城の廃止を決定し、ついでに岩国城も廃止を決めたのである。広家はしぶしぶ廃止を決定したものである。現在の天守は昭和37年に復元されたものである。桃山風南蛮造りと言われる独特の構造で、三重目の下層が上層より外に大きくはみ出している。
向う岸には渡らない。屏風のような横山に築かれた岩国城を望む。それにしても暑すぎだ。
昭和48年8月27日、昭和50年8月31日 自転車で来た時も相当暑かったが、あの時よりも暑かったようだがな。