街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

ターナー展に行く

2018-03-21 00:10:00 | その他色々





さて、少し腹ごしらえが出来たから絵を見に行こうかな。おっ、そうそうここはコメダ珈琲店北九州鞘ヶ谷店だぞ。
こうしてモーニングサービスを頂くなんて何年ぶりだろうか。いや、何十年ぶりだな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ターナ展に行く

2018-03-20 00:10:00 | その他色々





三人三様でモーニングサービスを選んだ。コーヒーを頼めばモーニングサービスは無料だって。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雌塚古墳

2018-03-20 00:10:00 | 佐賀 古墳

修復保存されている径30m超の円墳である。墳頂にはその主体部である長大な礫槨を持っている事を示すように煉瓦で枠を作っている。字が薄れていっている説明文を読むともう1基雄塚と言われる円墳があったのだが「消滅してしまった」と書かれてある。他人事の様だな。自然消滅する訳ないのだからな。この古墳は住宅地の中にあるので恐らくは宅地造成により消滅させられたものと思われる。この地域にあっては雌塚が4世紀末に築造され、雄塚5世紀初頭に築造されたものと考えられている。悲しいかな雌雄並ばず1基だけである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ターナー展に行く

2018-03-19 00:10:00 | その他色々


ターナー展に行く。ちょっとその前に。腹ごしらえをするので知り合いの女の子がバイトしているので「来て下さい」というのでついでだから寄ってみた。何の事はないその子は休みだったぞ。


妻と長男だぞ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姫方遺跡(佐賀県三養基郡みやき町) 完

2018-03-18 00:10:00 | 遺跡


雌塚が主体の様になっている遺跡の様だが弥生時代の土壙墓から支石墓などが検出されている。ここでは少し判りにくいのだが3基の石槨(石棺)が残されている。弥生時代から古墳時代までの遺跡がある訳で、この地に数百年もの間生活の営みがあったということである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古墳探訪中

2018-03-18 00:10:00 | 街道関連


 北九州市内に残る茶屋町橋梁と意匠が似ている。



 中原駅から少し東に行くと寒水川を渡るがこの川に架かる橋梁が御覧の様な五連アーチ橋である。九州鉄道の名残であろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お名前は・・椿

2018-03-17 12:54:26 | 朝顔 花

 ようやく咲いたぞ。母に買ったのだが花がつかないうちに亡くなってしまった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沈丁花

2018-03-17 12:49:26 | 朝顔 花

 香りが届くといいな。



 鉢植えから露地に植替えてやらねばならんな。土を掘り起こし日ごろ出る生ごみを埋めて土作りに専念している。花が終わってから土を耕してから露地に植替えようかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姫方遺跡(佐賀県三養基郡みやき町)

2018-03-17 00:10:00 | 遺跡


「脊振山系の支峰、石峰山から延びる標高約55mの段丘上に立地する。弥生時代から古墳時代にかけての墳墓である。この遺跡からは、弥生中期から後期の甕棺墓約400基・土壙墓8基、後期から古墳時代初頭の箱式石棺墓32基、古墳時代初頭の古墳2基・方形周溝墓1基などが発見され、墓制変遷を知る上で重要な遺跡である。
このうち、雌塚・方形周溝墓・環状列石土壙墓の3カ所が保存されている。
雌塚は直径32m、高さ35m余りの円墳で、礫槨墓を内部主体とする。方形周溝墓は南北14m、東西15m。内部主体は不明である。環状列石土壙墓は、直径20~50cm程の礫を1メートル幅で環状に配したもので直径は2.9~3.5m、中央に土壙墓が設けられている。」出典(佐賀県文化財データベースより)
すぐそこに墳丘が見えるがこれは雌塚古墳である。別にアップするのでお楽しみに。


姫方遺跡

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古墳探訪中

2018-03-17 00:10:00 | 街道関連

 小倉 6:22発 鳥栖 8:51着 長崎本線乗り換え 鳥栖 9:21発 中原 9:31着
 近くに姫方遺跡、雄塚(消滅)、雌塚、支石墓が三基 姫方古墳(前方後円墳)駅からは15分くらい歩く。ここから姫方前方後円墳までは15分である。またそこから次の目的である中津隈宝満神社境内古墳まで1時間歩く。またその次の東尾大塚まで40分である。足が痛くなったのでバスに乗って久留米駅まで移動。竹下にある那珂八幡古墳(前方後円墳)、東光寺剣塚古墳(前方後円墳)。13kmほど歩いたな。



 「なかばる」と読む。九州では地名につく原(はら)を「ばる」とよむのが当たり前である。西南戦争の激戦地であった「田原坂」(たばるざか)と読むことはご存じであろう。少し東寄りに一つのアーチ橋が架かっている。中原駅は明治24年(1891)に九州鉄道の一駅として開業し、明治40年(1907)国有化された。その九州鉄道の名残である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする