街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

鈴鏡塚古墳 (宮崎県)

2018-11-25 00:10:00 | 宮崎 古墳フォトチャンネル

鈴鏡塚古墳(宮崎県)

 

 

説明看板にある写真がこの古墳の名前の由来である。小さな円墳であるが特徴のある鏡が検出された。高塚でないのが宮崎県下の古墳の特徴であろう。恐らくは竪穴式石室か石槨に粘土棺を直葬したのかな。ここは少し高台になっていてそのすぐ南側に降りると若宮近隣公園があってそこは富高古墳群(1号2号)の保存公園になっている。

 

鈴鏡塚古墳位置

 

当該ブログの記事は平成30年(2018)11月20日から24日までである。

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吾平山上陵(鹿児島県)

2018-11-25 00:10:00 | 史跡

 不思議なことに兎に角雰囲気が違うことに戸惑うかもな。


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鈴鏡塚古墳 完

2018-11-24 00:10:00 | 宮崎 古墳


この角度で見ればなんだろうかと判るだろう。それでも草刈りさえしてくれていたらな・・・うーむ。

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吾平山上陵(鹿児島県)

2018-11-24 00:10:00 | 史跡

 おっと、もう少し傍に行って見なければ。



 当然と言っていいのだろうな。宮内庁だ。
 
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鈴鏡塚古墳

2018-11-23 00:10:00 | 宮崎 古墳

ぱっと見た目何が何だか判らんだろうな。何度も言う様だが・・草刈りしてよね。

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吾平山上陵(鹿児島県)

2018-11-23 00:10:00 | 史跡

 読んで頂ければ有難い。どうも明治政府がこの場所を指定したようだがな。可愛山陵、日本書紀には(しばらくたって瓊瓊杵尊はおかくれになった。それで筑紫の日向の可愛の山の陵に葬った)とある。しかしながら、古事記にはそのようなことは書かれていない。高屋山上陵、古事記によれば、(日子穂穂出見命崩御しその陵は高千穂の山の西にあり)としか記してない。日本書紀によれば(後久しくたって彦火火出見尊が崩御された。日向の高屋山上陵に葬った)とある。これらを県下の神代三山陵と呼ぶ。


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鈴鏡塚古墳

2018-11-22 00:10:00 | 宮崎 古墳

直径 17.5m 高さ 2.2m 大きくもなく小さくもなくと言ったところである。ただ、高塚ではないのが残念で在地の葬送方式を取り入れていることは間違いあるまい。

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吾平山上陵(鹿児島県)

2018-11-22 00:10:00 | 史跡

 今回は妻も同行している。古墳だけなら付いては来ないのだが鹿児島、宮崎と知らない町を訪ねるものだから付いてきた。だからといって古墳には行かないで車の中で待っている。


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山茶花

2018-11-21 00:10:00 | 朝顔 花

 もうずっと絵を描いていないからな。やはり山茶花を見ると絵心が・・・うーむ。


 蕾が沢山あるのでこれからが楽しみだ。
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鈴鏡塚古墳

2018-11-21 00:10:00 | 宮崎 古墳

古墳の周辺は住宅街である。


草を刈ってくれよ。

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