この街中にあって僅か1基だけが残されていることは奇跡に近いかな。少し大袈裟ではあるが。所謂高塚ではないのは御覧の通りである。時期的なものも判っておらず、まして主体部も判明していない。恐らくは6世紀後半から7世紀前半の範疇ではあろうが。
良いところに残されているのは嬉しいな。良いところだから一度は訪ねてもらいたいものだ。
早水神社(宮崎県)
古事記
「応神天皇、日向国の諸縣君の女、名は髪長比売、その顔容麗美しと聞こしめして、使ひたまはむとして喚上げたまひし時、云々〜太子大雀命に賜ひき。」とある。
日本書紀
「応神天皇にある人が申しあげて「日向国に髪長媛という嬢女がいて、諸県の君牛諸井の女です。これは国中での美人です」と言った。天皇は〜髪長媛を召された。〜大鷦鷯尊は大いに喜ばれた」とある。
流れ込む川が見当たらないので・・湧いてくるのだろうな。だから水が澄み切って綺麗なのだろう。その綺麗な水で顔を洗うと美人になると言われるのは肯ける話ではないかな。ただ我輩は男だから・・・うーむ。
当該ブログの記事は平成30年(2018)11月5日から10日までである。