かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

国家の罠

2007年12月02日 | Books

文庫化されたので、早速、”国家の罠”を読んでみた。
佐藤優さんの本については、別の対談ものを何冊か読んでいたので、内容についての推測はできたが、それにしても、緻密に、客観的(に見えるように?)に書かれている。少なくとも、佐藤さんが対露外交の(実務上の)第一人者であったとは、言えるだろう。

私は、この事件の時、シンガポールにいたので、主な情報源は、NHKとメジャーな新聞だった。民放や、スポーツ紙や、週刊誌の雑音もなかった。それでも、鈴木さん、佐藤さんというのは、とんでもない奴だとすっかり思い込んだ。だからといって、彼らと対立する田中さんも、めちゃくちゃだと思い、正直外相が変わってほっとした。当時のシンガポール大使、インドネシア大使が、おかげでころころ変わったり、空席が続いたりして、はっきり言って、東南アジアの国々を無視した茶番が日本で繰り広げられたのだ。少なくとも、田中さんには、大使を更迭するということが、いかに重要なことなのかを理解していたとは思えない。

この本の趣旨は、題名が見事に表している。裁判所も、最終的には、佐藤さんの論理を認めながら、結論は変わらずの裁判になっているようにも見える。これこそ国策捜査の典型的なケースなのだろうか。
”時代のけじめ”をつけるための捜査だという下りが多くあるが、”時代のけじめ”をつけるために、組織の中で、必死に仕事をしている人の行動が白になったり、黒になったりしたらたまらない。そのために、法律があり、その運用ルールがあるはずだ。この本を読むと、三権分立は、大丈夫なのだろうかと思ってしまう。

外交官として、対ロ外交の最前線にいた佐藤さんの言葉には重みがある。
本書によれば、ナショナリズムについて、いくつかの非合理的要因があるという。
ひとつは、『自国・自民族の受けた痛みは強く感じ、いつまでも忘れないが、他国・他民族に対して与えた痛みについてはあまり強く感じず、またすぐに忘れてしまう』という、認識の非対称的構造だ。また、もうひとつ特筆すべきは、『より過激な主張がより正しい』という法則である。確かにそうだなと思ってしまう下りだった。

今話題の防衛省の汚職事件も、佐藤さんの事件と似たような報道のされ方をしているが、もっと単純なようには見える。奥さんも逮捕されたのは、びっくりしたが。
国益という観点から見ると、今回の事件と、佐藤さんの事件とは、180度異なるのではないか。今回の防衛省の件の中には、国益を考えた行動は、ひとかけらもない(ように見える)。佐藤さんの件は、(少なくとも佐藤さんは)国益にかなうと信じて行ったことのようだ。

もちろん、佐藤さんの動きが本当に国益にかなっていたかは、今後の日露関係がどう動き、その際佐藤さんらの行動がどう影響を与えたかで、評価が定まってくるのであろうが。
ロシアとは、昔戦争をしたぐらいだから、国益では、対立する可能性が高い国と言える。特に、昨今の資源高で、ロシアの国力は、驚異的な回復を見せて、昔の共産主義時代をひきずったロシアではない。
このロシアと対等に交渉できる人が、日本側にどれくらいいるのだろう。プーチンさんは、ほとんど絶対的権力を握りつつあるように見える。

コメント
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