今日は、ビートルズ来日50周年に伴うイベントの、最終回。
元東芝音工ディレクターの高島弘之さんのトークイベントに、行った。
最終回にふさわしい充実のイベントだった。
会場は、前にも行った、シンコーさんのアネックス。
表は、ビートルズ一色。
中は、ビートルズ来日時のメモラビアが多数展示されていて、流石、老舗。
ビートルズが、使用した楽器のレプリカも。
取り壊された東京ヒルトンの会見のバックの壁。
売り出し中の、豪華写真集の等身大パネル。
トークショーは、展示会の奥の、倉庫みたいな部屋で行われた。
聴衆30人ぐらい。
とにかく、ビートルズの、日本での、売り出しについて、一から十まで、知ってる人だ。
他のトークイベントでは、話されているのかもしれないが、私にとっては、目からウロコだ。
高島さんは、ビートルズ後も、様々な、ブームの火付け役になり、今は、1966カルテットを、売り出している。
最初に、口から、出たのは、この世界(ショービズ)、運が大事ということだ。
ブライアンは、最初、デッカではなく、EMIに、アセテート盤を送ったのだという。
でも、不採用になり、デッカに、行ったら、これまた不採用。
そして、結局、EMIは、有力レコード屋(NEMSの経営者)の頼みを断り切れず、EMI傘下のパーロフォンのオーディションを受けることになり、マーティンと、出会った。
彼は、ビートルズの4人のキャラクターを、気に入り、当時、まだ、少なかった、シンガーソングライターの意見を、寛容に、受け入れるタイプでもあった。
何という運だ。
高島さんが、ビートルズに、注目したのは、プリーズプリーズミーからという。
ラブミードゥは、何にも感じず、大ヒットをしている訳でもなかった。
当時、洋物といえば、アメリカだったが、リバプールサウンドが、すごいという情報が、はいってきており、日本にも、船便で、レコードが、はいってきていた。
当時、リバプールには、280から300の、グループがいたそうで、ビートルズは、その代表に選ばれた訳だ。
これも、運。
アイドル路線で売り出すことになったのも運だが、最初に、食いついたのが、女性ファンだったことが、理由という。
ストーンズや、ベンチャーズを、蹴落とすのが、たいへんだっというから、今となっては、笑える。
そして、日本で売り出す準備の最中に、アメリカで、抱きしめたいが、大ヒットしている情報が入り、日本でも、抱きしめたいを先に、出すことになった。
ただし、シングル盤のカバーには、先に出ているはずだった、プリーズプリーズミーの宣伝が、残り、プリーズプリーズミーが、先に出たのではとの論争になる。
これは、本人がいうのだから、間違いないが、抱きしめたいが、先。
それにしても、すごいセンス。
シングルジャケットが、回覧された、初めて実物に触った。
由紀さおりや、後の、カレッジポップスを、売り出したのも彼だが、今で、いうキャッチコピーか、センスがいい。
今は、英文の原タイトルが、先に、視聴者に届いてしまうから、このような、兼魔ヘ、できなくなっている。
売り出しのため、襟なしスーツを、流行らせそうと、京橋テーラーという洋服屋に、30着作らせ、社員に着せて街を歩かせたが、さっぱり流行らなかったという。
夏に、向かう時期で、タイミングも悪かった。
最近、当時の写真が、みつかり、高島さん自身も驚いていたが、その写真も、回覧された。
この前話を聞いた大村さんの資料発掘の功績大。
また、、ビートルズカット(当時、マッシュルームカットでは、意味が通じなかった)、を流行らそうとして、長い散髪練習用のカツラをつけた人を、行きつけの床屋に行かせ、写真を撮って、雑誌に載せたり。
ラジオのリクエスト番組では、桜に、東芝音工の曲をリクエストさせ、20曲中、18曲が、東芝の曲になったことすら、あったという。内1名は、著名な、音楽評論家になったが、惜しくも、亡くなられたという。遊びに来た人には、飲み物や、アセテート盤をあげて、ファンの増加に努めた。
最近、毎月、トークをお聞きしている藤本さんのことを、とても褒めておられたが、お父さんは、たまたま、東芝音工の出す曲に、詞をつけていた方だそうで、高島さん自身も、びっくりしたという。
その、藤本さんから、ノルウェーの森の名は、テイチクの他曲に使われた方が早いのではないかとの嫌疑?をかけられ、そんなはずはないと悶々としていたが、これも、まだ、ノルウェーの森という題名が、使われていなかったアルバムの方が発売された時に、すでに、ノルウェーの森の名が、ついていた資料が、見つかり、嫌疑は、晴れた。
公に、ノルウェーの森のタイトルが使われたのは、EP盤からであったので、嫌疑が、かけられた訳だ。
今、本当の意味は、ノルウェー家具であることが、わかっているけど、当時は、知る由もなく。
後から、マーティンにその意味を聞いたところ、元は、Knowing She Wouldだったが、あまりに露骨なので、直させ、このタイトルになったという。
歌詞を、読めば、すぐわかるというが、要するに、単に、原題と語路が似てたということだ。
村上春樹氏は、高校、大学の、完全な後輩だそうだが、あの小説の題名は、元々違ったた題名だったのを、奥様が、直したものだそうだ。
姑息にも、ノルウェイと、表記を、変えてある。
福田一郎さんは、ビートルズシンパの評論家として有名だが、当初は、こき下ろしていたのだそうだ。
高島さんは、まずいと思い、これから、絶対流行るから、サポートしないと、福田さんが、大変なことになると言って、ビートルズのレコードを、渡し聞かせたところ、がらっと、ビートルズに対する評価変わったという。
これは、ご存命だったら、オープンにしにくい、裏話。
当時は、勝手に、各国盤が、作られていたが、日本独自の、ベスト版が、1965年に企画され、カッティングまで、終わっており、現物を、見せていただいた。
赤い盤だが、これは、黒よりも、静電気が、少ないといことで、レコード制作の初期段階で使われていたそうだ。
結局、寸前に、イギリスから、ストップがかかり、立ち消えになったが、出てたら、すごい珍品になったろう。
この盤も、2枚しかなく、1枚は、鎌倉の、収集家の所有で、世に出ないので、高島さん所有のこれが、唯一ということになっているとのこと。
元は、もっと鮮やかな赤だったが、音は、しっかりしているとのことだった。
私の、最初に買ったビートルズのアルバムが、オールディーズという、イギリス本家の、ベスト版であったことを、思い出した。
シンコーについては、星加さんばかり、前面に出るが、当時の社長だった、草野氏を、是非もっと評価して欲しいという。
確かに、当時、イギリスまで、突撃取材に行かせる、度量は、並大抵のものではない。
星加さんもトークイベントで、草間さんのことは、よく取り上げられているが。
話は、尽きないのだが、1時間半で、トークイベントは終わり、サイン会があったので、既に持っていたが、「ビートルズ!」をつくった男を、買い直して、サインを、いただいた。
82歳と、言っておられたが、バイタリティの塊のような方だった。
ちょうど、50年前の今日、ビートルズは、日本を発った。
私の50年記念イベントシリーズも、今日で一応、ひと区切り。