かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ビートルズとスーパースターたち

2016年07月08日 | The Beatles



本書は、もうすぐクロースするパルコⅢの、GetBackさんのショップでゲット。
存在を知らなかったが、2003年2月の発行とあるから、シンガポール駐在時代で、気付づかなかったのかもしれない。

ビートルズの初アメリカ公演をプロモートしたシッド・バースティン氏の回想録だが、知らない事実がたくさん載っており、びっくりした。
ビートルズの歴史に興味のある人は、必読だろう。

驚いたのは、シッドさんは、まだビートルズの人気がイギリス国内に留まっている時に、その人気に目をつけ、個人で、エプスタインに交渉。まだ、自信を持てなかった、エプスタインを説得し、翌年の1964年2月のカーネギーホールでの公演を決めた。アメリカでは、ビートルズを誰も知らないタイミングだ。すごい、バイタリティだ。
そして、エドサリバンがロンドンの空港で、ビートルズを迎えるファンの様子を見て、エドサリバンショーへの出演を、初米公演に合わせて決め、歴史的なビートルズのアメリカ上陸になった。
日本からの団体が、カーネギーホール公演のチケットを申し込んだとの記載があるが、日本人が、カーネギーホールでの初公演を見たとは、聞いたことがない。

翌年のシェアスタジアムの公演をプロモートしたのも彼。
とんでもない大きなプロジェクトを、きちんと計算してやるしたたかさは、流石、アメリカのプロモーターという印象。
めちゃくちゃに見えて、セキュリティなど、万全の備えを敷いている。
ウッドストックや、ストーンズのオルタモントのコンサートには、絡んでないが、その警備状況については、辛口だ。

その後、ラスカルズに入れ込んだとあるが、残念ながら知らない。
ストーンズの米公演もプロモートしているが、そのため、カーネギーホールは、出禁になったという。
その他にも、今から思うと、夢のようなコンサートをたくさん企画しているが、ジャニスや、ジミーなど、ブックしながら、薬の影響で、ステージから引きずり下ろしたこともあるという。
みな、早世した。

その後もビートルズの面々とは、何度も会っており、ジョージのコンサートで、ポール夫妻にあったり、ジョン夫妻に、おいしいレストランを教えたり、ヨーコと、シンシアさんとの会食に同席したり、ポールのコンサートの楽屋に挨拶に行ったり。

再結成の話は、日本でも多く報道されたが、火付け役は、いつもシッド氏。10億ドルという、とんでもないお金を積んでも成功しなかったという。その後、チャリティを目的としたコンサートでの再結成も試みたが、まだ、その時期は、解散の凝りが残っており、全く反応は悪かったという。

ビートルズの神話に貢献したアメリカ側の人としては、ナンバー1かもしれない。

コメント
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