かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

出雲神話の旅その4 古代出雲歴史博物館、稲佐の浜

2016年07月31日 | Other Western Japan

今日は、二連荘のゴルフ。
シャワーがあったりして、天気は、ちょっと不安定だったけど、暑いには、違いなく、息切れ。
やっぱり、ゴルフやるには、暑すぎか。



古代出雲歴史博物館を訪れたのは、2回目。
すばらしい博物館だ。
この長い道は、かつての出雲大社の階段の長さに合わせている。
出雲大社関係の展示のみならず、古代の人々の暮らしがわかるよう工夫されている。
そして、近隣で、偶然発掘された銅剣、銅矛、銅鐸の展示が圧倒的。
出雲に、大和朝廷を上回ったかもしれないスーパーパワーがあったことを示す証拠群だ。
出雲の歴史を知るには、絶対訪れたい博物館。

平野さんの本によれば、出雲の他の博物館にあったものも、一部この博物館に集約されたそうだ。



稲佐の浜は、出雲大社の近くにある。
前回は、行きそこねたが、今回はしっかりカバー。
古事記の国譲りの舞台になった浜で、弁天島が、トレードマーク。
渚100景にも選ばれており、夕日が美しいことでも有名だ。
落ち着いた佇まい。

この稲佐の浜で、天照大神の使者である建御雷神(たけみかづち)と、天鳥船神(アマノトリフネ)が、十握剣(とつかけん)を抜き、剣を逆さに突き立て、その剣の切っ先にあぐらをかき、お大国主神に国譲りを迫った。
その子の事代主神(コトシロヌシ)は差し上げるといい、もう一人の子である建御名方神(タケミナカタ)は、力比べを行い、破れ、諏訪に去った。
そして、国譲りが行われることが決まったのである。
先日の、NHKで、この神話が、縄文から、弥生への、転換を表した神話ではないかとの仮説を紹介していた。
諏訪は、稲作文化を受け入れるのが、日本で、一番遅い地域だという。

国引き神話で、一番始めに引っ張られたのも、この地域であり、神話の世界で、いつも中心にある。

コメント
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