廃仏毀釈関連の本、2冊目。
明治維新150年を機に出版されているのだろうが、本当に当時の混乱orレベルの低さには、がっかりする。
とはいえ、海外とほとんど交信がなかった島国が、急に先進国になろうとしたのだから、この程度の混乱で済んだというのが、大方の見方かと思うし、たぶんそうなのだろう。
それにしても、という思いが、本書を読むと思う。
本書の特色は、現地取材、特に九州地方での取材が、実態をよりリアルに著していることだろう。
鹿児島、宮崎での惨状。鹿児島では、お寺が消えた?
一方、突如反乱者から、官軍になった明治政府に対する忠誠が誤って出てしまったケースも。
極端な、神道優先が、明治政府の評価に繋がると勘違いして、極端に走った。
伊勢神宮の奥にも大寺院があったのだという。
そんな状況の中で、神仏分離を唱えたらどうなるか、もう少し考えられなかったのか。
国宝の宝庫と言われる興福寺でさえ、多くの仏像が失われたのだという。
一方、その仏像作りの技術を新たな産業興しの原点になったケースも。
一概にいい悪いは言えないが、違うやり方はあっただろうと思うのが、本書を読んだ感想だし、たぶんそれが事実だったろう。
しかし、それだけの余裕は、当時の明治新政府にはなかった。
逆賊から、官軍になり、明治政権を率いる立場になった新政府にとって、宗教的な理論付けは、闇雲になっても、最優先で取り組まなくてはならなかった課題だった。
神社とお寺は違うと教わったわれわれ世代にとって、このような江戸時代以前の神社とお寺との関係が150年経って、身近になるのは、驚きでもある。
お寺と神社は違うと教わって来たのだから。
今の神道は、昔に戻った訳ではなく、明治になって造られた、新神道と呼ぶべき似て非なる宗教だと言えるだろう。
このような形で、神道が敬われる時代は、明治以前にはなかった。
この考え方が、WWⅡに繋がったと言っては、言い過ぎか。