暑い日が続いてきた。
さすがに、マスクはきついが、やむない。
本書は、本屋で見つけた。
偽書という言葉は、古事記が偽書と疑われていたなど、聞いたことがあったが、あまり知らなかったので、ゲット。
これは、面白い!
江戸時代に、大々的に偽書を作りまくっていた椿井(つばい)氏の業績?を徹底的に追求した本。
椿井氏の制作した文書等が、偽書ではないかと疑われることはあっても、これまで言及するものの、追求までした人はあまりいない。
著者は、役所に務めていた時、地史作成の際に、椿井氏の偽書に遭遇。
そして、追求を始めたら出るは出るは。
そして、役所は、その存在を無視しようとする。
なぜ偽書が作られるかというと、領地争いや村の勢力争いなどで、その土地が昔から由緒ある土地であったことにしたいケースとか、先祖代々住み着いていたことにしたいケースとか。
はたまた、家系が伝統ある家系にしたいとか、神社を格式の高い神社にしたいとか。
単に古地図として売却して利益を得ていたこともあったようだ。
亡くなった後も、古文書として長い間流通し、流通すればするほど、本物らしさが増して、価値も上がっていった。
そして、その方法が、文書だったり、絵図だったり。
書体や、画法にも、変化をつけている。
ただ、椿井氏の作成したものには特徴があり、見破ることはたやすいらしい。
例えば、わざと元号が変わる前の元号を使用したり、その時代とは違った様式での文書や古地図にしたり。
これは、ばれた際に、”戯れであった”と言いのがれできるように、わざと間違えて作ったのではないかとの推理。
事実が巧みに織り交ぜられ、ただその先を追おうとすると、追いきれないような工夫もしてある。
また、多くの一見関連のない文書を作成しておき、一つの文書を追うと、他にも証拠が見つかるように仕組んであったりする。
相当頭のいい人だったようだ。
堂々と本人名での絵も残されるが、絵心があったことは間違いない。
今でいえば、他人の学歴詐称のお手伝いを、一所懸命した人ということになろう。
偽サインを作って、儲ける人とも同じジャンルかもしれない。
地史には、偽書とも知らず、または怪しいと思っても、都合のいいようい解釈して、参考にしたものが数多くあるという。
これをすべてあばいてしまうと、これまで根付いてきた地元愛も消えそうで、ちょっと複雑。
都合のいい情報は、ちょっと疑念があっても、そのまま採用され、特に活字になると、既成事実化されていく。
絵図は、地史本の口絵や、観光案内板に打ってつけ。
一旦地元の歴史的名所になると、後から誤りと分かっても引っ込みがつかなくなる。
特に、一部地域の式内社リストや、興福寺の関連の寺リストは、それまで欠けていたものまで網羅したもので、広く流布したが、内容は、かなり杜撰なものだった。
偽書は、戦後にも堂々と作られた(ばれたが)ケースもあり(偽の石器発見のインチキは、考古学全体への不信感につながる大事件になったが)、全く過去の話とも言い切れないようだ。
今は、偽造は犯罪になるので、手をつける人は少ないだろうが、過去の話と割り切れば、この詐欺師の手口に拍手?
某知事の卒業証書は、偽書というより、名誉卒業(裏口卒業?)をしたことなのかなと推測しているが、どうか。
さすがに、マスクはきついが、やむない。
本書は、本屋で見つけた。
偽書という言葉は、古事記が偽書と疑われていたなど、聞いたことがあったが、あまり知らなかったので、ゲット。
これは、面白い!
江戸時代に、大々的に偽書を作りまくっていた椿井(つばい)氏の業績?を徹底的に追求した本。
椿井氏の制作した文書等が、偽書ではないかと疑われることはあっても、これまで言及するものの、追求までした人はあまりいない。
著者は、役所に務めていた時、地史作成の際に、椿井氏の偽書に遭遇。
そして、追求を始めたら出るは出るは。
そして、役所は、その存在を無視しようとする。
なぜ偽書が作られるかというと、領地争いや村の勢力争いなどで、その土地が昔から由緒ある土地であったことにしたいケースとか、先祖代々住み着いていたことにしたいケースとか。
はたまた、家系が伝統ある家系にしたいとか、神社を格式の高い神社にしたいとか。
単に古地図として売却して利益を得ていたこともあったようだ。
亡くなった後も、古文書として長い間流通し、流通すればするほど、本物らしさが増して、価値も上がっていった。
そして、その方法が、文書だったり、絵図だったり。
書体や、画法にも、変化をつけている。
ただ、椿井氏の作成したものには特徴があり、見破ることはたやすいらしい。
例えば、わざと元号が変わる前の元号を使用したり、その時代とは違った様式での文書や古地図にしたり。
これは、ばれた際に、”戯れであった”と言いのがれできるように、わざと間違えて作ったのではないかとの推理。
事実が巧みに織り交ぜられ、ただその先を追おうとすると、追いきれないような工夫もしてある。
また、多くの一見関連のない文書を作成しておき、一つの文書を追うと、他にも証拠が見つかるように仕組んであったりする。
相当頭のいい人だったようだ。
堂々と本人名での絵も残されるが、絵心があったことは間違いない。
今でいえば、他人の学歴詐称のお手伝いを、一所懸命した人ということになろう。
偽サインを作って、儲ける人とも同じジャンルかもしれない。
地史には、偽書とも知らず、または怪しいと思っても、都合のいいようい解釈して、参考にしたものが数多くあるという。
これをすべてあばいてしまうと、これまで根付いてきた地元愛も消えそうで、ちょっと複雑。
都合のいい情報は、ちょっと疑念があっても、そのまま採用され、特に活字になると、既成事実化されていく。
絵図は、地史本の口絵や、観光案内板に打ってつけ。
一旦地元の歴史的名所になると、後から誤りと分かっても引っ込みがつかなくなる。
特に、一部地域の式内社リストや、興福寺の関連の寺リストは、それまで欠けていたものまで網羅したもので、広く流布したが、内容は、かなり杜撰なものだった。
偽書は、戦後にも堂々と作られた(ばれたが)ケースもあり(偽の石器発見のインチキは、考古学全体への不信感につながる大事件になったが)、全く過去の話とも言い切れないようだ。
今は、偽造は犯罪になるので、手をつける人は少ないだろうが、過去の話と割り切れば、この詐欺師の手口に拍手?
某知事の卒業証書は、偽書というより、名誉卒業(裏口卒業?)をしたことなのかなと推測しているが、どうか。