かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

マイルス・デイビス

2020年08月09日 | Music
今日も、雑務。
不要品の整理をしたが、なかなか。
でも、ちょっとすっきりしたかな?



マイルス・ディビスさんのサインが出たので、即ゲット。
あまり目にすることはない。

ジャズの世界は、まだ勉強中だが、必ず出てくるのが、彼。
今、一線で活躍する長老たちも、ほとんど彼の影響を受けながら、今のスタイルを作った。

1926年、イリノイ州生まれ。ジャズの本場、セントルイスでデビュー。
その後ジュリアード音楽院に入学。
1950年代に本格的に活動。
麻薬問題をかかえながらも、トッププレイヤーとしての地位を得る。
1955年から、バンド活動を本格化。メンバーは次々入れ替わるが、このバンドで、共演したメンバーが、次々とスターになる。
1964年に初来日ということだが、その後、ウェイン・ショーターを迎え、ハービーハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス、サム・リバースという第2クインテットを組む。
このメンバーは、今も時々来日し、すばらしい演奏を聞かせてくれている。
その後も、チック・コリア、ジョン・マクラフリン、 ビル・エバンズ(サックスの方)などそうそうたるメンバーとバンドを組み、単にジャズという分野にとどまることなく、ファンクや、ロックなど様々な要素を取り入れていった。
活動休止の時期を経て、1980年代に復活後は、たびたび来日している。
1990年の東京ドームでのジョン・レノン追悼コンサートでは、ストロベリー・フィールズ・フォーエバーをカバーしたというが、どんな演奏だったのだろうか。
1991年に肺炎で亡くなるが、まだ65歳だった。
ニューヨーク時代のジョン・レノンと、交流があり、遊んでいる姿が、どこかの映画に出ていたと思う。

本サインは、1986年3月23日、サンタモニカのシビックオーディトリアムでされたもの。
還暦直前のもの。
ジャズのコンサートもよく開かれてていた、会場らしい。

サインは、荒っぽいが、レアな逸品をゲット。
コメント
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