今日も好天、庭仕事。
気候がいい内に、やっつけられるところは、やっつけておかないと。
本書は、本屋で並んでいるのは見ていたのだが、書評を見てゲット。
著者は、1978年にテオティワカンを訪れ、以来その魅力に取りつかれ、メキシコ人学者と共に、テオティワカン遺跡の発掘を続けられておられる。
今回のメキシコ展誘致にも主導的にかかわられ、それを機に、本書を著した。
マヤ文明、アステカ文明は、ちょっと知られているが、テオティワカンについては知名度が低いかもしれない。
私も知らなかったのだが、出張でメキシコシティに行った時、滞在が日曜日に重なり、日帰りで、初めて行って、それ以来行く機会もない。
その時のメモは、2009年2月のブログにアップしているので、ご興味のある方はどうぞ。
テオティワカンとマヤ文明が発展した時期は、ほぼ同時なのだが、その関係は、明らかではない。
ただ、発掘結果から、途中から交流があったことは明らかで、マヤ文明に吸収されたのかもしれない。
日本でいえば、弥生時代から古墳時代ぐらいのことだ。
そして、その後、アステカ文明が支配するようになった。
本書では、主要な3ピラミッドの発掘談が主になる。
月のピラミッドと太陽のピラミッドには、私も登ったが、結構たいへんだった。
本書では、羽毛の蛇ピラミッドについての発掘も取り上げられるが、私が行った時は、ケツァルーパトルのピラミッドと呼ばれていて、オウムような鳥のことと聞いている。
今は、オウムの顔の部分が蛇と理解されているようだ。
羽ある貝の神殿に行ったとブログにはアップされているのだが、これが本書のどこの部分を指すのかはわからなかった。
テオティワカン発掘の歴史は浅いが、これは、アステカ文明が、その後に覆いかぶさるような形で発展してしまったことが大きい。
かつ、文字がなかったため、歴史としても残らなかった。
最大の太陽のピラミッドでさえ、かなり崩壊しており、20世紀初頭に、メキシコ政府の威信をかけて、再建されたそうだ。
ところが、発掘してみると、最初は小さな神殿だったのが、数次にかけて大きくなり、今の姿になったことがわかった。
そういった意味では、エジプトのピラミッドとはかなり異なる。
かつ王墓的なものは、見つかっておらず、生贄にされた人々の墓が見つかっている。
生贄文化の根深さにも驚かされる。
どういう人たちが、生贄にされたのだろうか。
頂上に神殿があったのか、祭壇があったのかも定かではない。
ただ、100年ほど前には、ほとんどすべてが忘れられていたのだから、近時大きな発見が続き、筆者もそのほとんどに関わってこれたことがわかる。
今回、このような大規模展が、70年振りに日本で開催され、筆者も感無量だろう。
この中心建築群だが、その配置は、天体の動きや、それに伴う大周期の暦を反映しているのだという。
どういう人達が、この文明を支え、発展させてきたのか、興味のつきないところである。
今のところ、このピラミッド群は、地下界への出入り口だったのではないかと考えられているとのこと。
日本でいえば、黄泉の国への入り口といったところだろうか。
今回の展覧会では、近時の発掘物も多数展示されているので、まだの方は、訪れてみてはいかがだろうか。
メキシコ文明を目の当たりにできる千載一遇のチャンスである。
気候がいい内に、やっつけられるところは、やっつけておかないと。
本書は、本屋で並んでいるのは見ていたのだが、書評を見てゲット。
著者は、1978年にテオティワカンを訪れ、以来その魅力に取りつかれ、メキシコ人学者と共に、テオティワカン遺跡の発掘を続けられておられる。
今回のメキシコ展誘致にも主導的にかかわられ、それを機に、本書を著した。
マヤ文明、アステカ文明は、ちょっと知られているが、テオティワカンについては知名度が低いかもしれない。
私も知らなかったのだが、出張でメキシコシティに行った時、滞在が日曜日に重なり、日帰りで、初めて行って、それ以来行く機会もない。
その時のメモは、2009年2月のブログにアップしているので、ご興味のある方はどうぞ。
テオティワカンとマヤ文明が発展した時期は、ほぼ同時なのだが、その関係は、明らかではない。
ただ、発掘結果から、途中から交流があったことは明らかで、マヤ文明に吸収されたのかもしれない。
日本でいえば、弥生時代から古墳時代ぐらいのことだ。
そして、その後、アステカ文明が支配するようになった。
本書では、主要な3ピラミッドの発掘談が主になる。
月のピラミッドと太陽のピラミッドには、私も登ったが、結構たいへんだった。
本書では、羽毛の蛇ピラミッドについての発掘も取り上げられるが、私が行った時は、ケツァルーパトルのピラミッドと呼ばれていて、オウムような鳥のことと聞いている。
今は、オウムの顔の部分が蛇と理解されているようだ。
羽ある貝の神殿に行ったとブログにはアップされているのだが、これが本書のどこの部分を指すのかはわからなかった。
テオティワカン発掘の歴史は浅いが、これは、アステカ文明が、その後に覆いかぶさるような形で発展してしまったことが大きい。
かつ、文字がなかったため、歴史としても残らなかった。
最大の太陽のピラミッドでさえ、かなり崩壊しており、20世紀初頭に、メキシコ政府の威信をかけて、再建されたそうだ。
ところが、発掘してみると、最初は小さな神殿だったのが、数次にかけて大きくなり、今の姿になったことがわかった。
そういった意味では、エジプトのピラミッドとはかなり異なる。
かつ王墓的なものは、見つかっておらず、生贄にされた人々の墓が見つかっている。
生贄文化の根深さにも驚かされる。
どういう人たちが、生贄にされたのだろうか。
頂上に神殿があったのか、祭壇があったのかも定かではない。
ただ、100年ほど前には、ほとんどすべてが忘れられていたのだから、近時大きな発見が続き、筆者もそのほとんどに関わってこれたことがわかる。
今回、このような大規模展が、70年振りに日本で開催され、筆者も感無量だろう。
この中心建築群だが、その配置は、天体の動きや、それに伴う大周期の暦を反映しているのだという。
どういう人達が、この文明を支え、発展させてきたのか、興味のつきないところである。
今のところ、このピラミッド群は、地下界への出入り口だったのではないかと考えられているとのこと。
日本でいえば、黄泉の国への入り口といったところだろうか。
今回の展覧会では、近時の発掘物も多数展示されているので、まだの方は、訪れてみてはいかがだろうか。
メキシコ文明を目の当たりにできる千載一遇のチャンスである。