今日は、関西にいる。
絶好の散策日和なので、前から行きたかった安土&近江八幡へ。
ところが、いろいろ見どころが散らばってて、32000歩。
散策どころか、大ウォーキングデイになってしまった。
まぁ、運動不足気味だったから、いいんだけど。
最初訪れたのが奥石(おうそ)神社。
安土駅から4キロ!
何故か、おうそと読む。
マンホールは、永楽通宝。
老蘇(おうそ)の森に囲まれており元は、老蘇と書いていたのかもしれない。
延喜式にものる神社。
根来の陣屋跡が入り口のところにあり、織田信長との縁も深い。
神主さんが、この辺りは、元々蒲生家の所領だったとおっしゃっていた。
社殿は、重要文化財に指定されているが、織田信長が、柴田家久に造らせたという。
小ぶりだが、落ち着いた佇まい。
次に訪れたのが、信長の館。
また4キロ近くで、かつ山越え。
不思議な建物が現れた。
築城後わずか3年で焼失してしまった安土城の最上部の5階6階部分を忠実に再現した実物大の建物が展示されている。
元は、1992年のセベリア万博で展示されたものを移築し、屋根や外壁を追加復元したそうだ。
見事だが、アップ不可とのことで、説明のみ。
隣に映像で再現するシアターがあり、これまた見事。
安土城跡に行く前に、行ってて良かった。
素晴らしいし、信長の規格外の発想に脱帽。
部下は、さぞ大変だったろうが。
これを見ないと、なかなかイメージするのが難しい壮大な城だ。
とにかくバカデカく、バカ高い初めての天守閣を持った城で、とんでもない労力が費やされた。
そしてまたしばらく歩いて安土城跡へ。
今は、城跡内に総見寺が残り、安土城は、石垣のみが、残る。
この石垣自体も、明治以降に、整備されたらしく、それまでは、荒れ果てていた。
この大手道が整備されたのも、そう昔ではないらしい。
急で、ほとんど山登り。
守るのにはいいが、水、兵糧が、しんどい城?
大手道の両側には、有力戦国武将の館が建ち並んでいた。
手前の左は、羽柴秀吉。
広くて別格扱い?
天守閣近くには森蘭丸邸まであった。
本当なのだろうか?
難攻不落であったことは、間違いない?
いろんなところから石を持ってきていて、貴重な仏足石も。
発掘は続いている。
金色の瓦などが発掘されたことから、安土城が、金色に輝いていたことが、わかってきた。
本丸跡の礎石は、見事に、立派に残っている。
謎が少しづつだが明らかになってきている。
琵琶湖も一望。
天守閣はもっと高かったから、もっと素晴らしい眺めだったろう。
下りは、別ルートで、お寺の中を通る。
やや痛んでいるが、室町時代のもので、重文に指定されている。
二王門も室町時代のもの。
金剛力士雑も、重文に指定されている。
安土駅から、隣駅の近江八幡駅へ移動。
またまた3キロ近く歩いて日牟礼(ひむれ)八幡宮へ。
結構、団体客も来ていた。
立派な、楼門。
拝殿、本殿も立派。
祭神は、誉田別尊。
伝えられる歴史は古いが、本格的には、平安時代から鎌倉時代の建立と見られるという。
今日のラストは、八幡山ロープウェイ。
来たら、登りたいと思っていた。
15分毎なので、便利。
登ると、八幡城跡が広がる。
豊臣秀次の城だったが、秀頼が誕生したため、自害させられた後、廃城になった。
なんと残酷なことか。
またまた山登り。
安土城にも匹敵する規模?
西の丸跡からの眺め。
琵琶湖方面が絶景。
比叡山もばっちり。
出丸跡からは、近江八幡の街が一望。
凄いところに城を作ったものだ。
安土城を見下ろすような感じになる。
できた時は、焼失していたことになるが。
左方には、伊吹山が、望める。
天守閣跡には、村雲御所瑞龍寺が移築されている。
回りの石垣は、八幡城時代からのもの。
本殿。
六角堂。
紅葉が始まっている。
無事、八幡城から降りて、八幡堀。
お堀巡りはしなかったが、素晴らしい光景。
逆光だが。
白雲館。
仲屋(すわい)町通り。
昔ながらの通りが続く。
近江商人の街。
旧八幡郵便局(ヴォーリス建築)。
アンドリュース記念館(ヴォーリス建築)。
充実の1日だった。