かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

The Beatles 1964 Blackpool Opera House Concert Programme

2023年04月10日 | The Beatles
今日も好天。



ビートルズの1964年8月16日のBLACKPOOL OPERA HOUSE でのコンサートのプログランクをゲット。
プログラムと言っても、見開き1枚のチラシのようなものだが。
1964年というと、もうアメリカで大成功を収めた後だから、それは、たいへんな騒ぎだったろう。
8月19日から、2回目のアメリカツアーが組まれていた。

裏表紙が左に見えるが、これは、ビートルズとは関係なく、Harold Fielding’sSunday Night as the Blackpool Opera Houseの今後のコンサートの予定表だ。
時間は、いずれも、午後6時20分から8時15分。
知った名前は、Shirley Bassy ぐらいか。
Harold Fieldingという方は、この劇場のプロデューサーだったようだ。



内容は、左が、ビートルズの紹介、右がショーのスケジュールになっている。
左の紹介は、極めて基本的な内容だが、ジョンが1955年にThe Quarrymenを結成し、すぐ後にポールが加入したとあり、かなりラフ。
Please Please Me を出したところで、途切れており、昔の資料のコピペだったか。

右が当日のプログラムだが、休憩有で、トータル2時間弱。
前半、後半、4ミュージシャンが演奏することになっており、1人(グループ)10分程度だったのか。
前半のトリは、The Kinks。
Whoの前身のHigh Numbers の名も。
そして大トリは、もちろんビートルズだ。
企画者の一人として、Brian Epstein の名も。

この構成が、ビートルズファンを満足させられたか定かではないが、これが当たり前のスタイルだった。

やや折れ目が目立つが、貴重な逸品をゲットできた。
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正倉院のしごと

2023年04月09日 | Nara ( Japan )


今日は、ゴルフ。
コンディション最高。
スコアもそこそこ。
この調子で?
桜は終わって、さつきが綺麗。
まだ、4月だけど。



本書も、本屋で見つけた。
興味のある本がどんどん出てくる。

本書の著者は、大学で、美術系の学問で博士号を取った後、正倉院事務所勤務一筋で、定年になったばかりとのこと。
先日六本木で展覧会もあった再現模造の話が中心かと思ったら、ほんの一部で、正倉院宝物の保存に関する総合的な本だった。

切り口としては、正倉院宝物とは何かから始まって、どのように守って来たか、いるか、どのように直してきたか、どのように調べているか、どのように作っているか、どのようにいかしているかなどとなる。
1300年近くのもの間、正倉院宝物が守られてきたのは、基本的には、保存のため専用の正倉院に収められ、一部例外を除いては、ほとんどその中で、人の目に触れないで、眠っていたことによる。
ただ、本書によれば、布や、紙の寿命というのは、大体800年ぐらいで、自然に朽ちていくものという。
だから、正倉院の宝物もそれを防ぐために、さまざまな工夫がほどこされてきたし、今もほどこされている。
不幸にして崩壊してしまったものは、再現・修復すべく、職人たちが取り組んできた。
しかし、その手法は試行錯誤で、時には、宝物を傷めてしまったり、間違った修復をしてしまったり。

基本は、元に戻せるように修復するということという。
そして、現在の技術では難しい場合は、無理をせず、技術の進歩を待つ。
特に、調べるという分野においては、技術の進歩が大きく貢献しているという。
確かに正倉院展に行くと、新たに発見されたことが、誇らしげに説明されている。
調査によって、舶来物と思われたものの内、かなりの物が、国産と判明してきている。

そして、いかにして生かすかという点では、やはり正倉院展の話が中心となる。
定期的に正倉院の中を点検するようになったのは、そう古いことではないが、その機会に公開することも検討されるようになり、実施もされてきた。
ただ、一番の敵である虫や黴の原因になる可能性が高く、また移動時に(もともと脆いため)破損するリスクも大きい。
想定しない壊れ方をすることもあるそうで、なるべく触らず、移動せず、温度・湿度変化させない方が望ましいが、展示する場合、それはどうしても避けられない。
とするとリスクを最小限に抑えて、展示をするしかなく、試行錯誤の上、今の正倉院展の姿になっている。
コロナ以降、入場者数を抑えて、ゆっくり見れると評判もいいそうだ。
宝物に与える悪影響も減少する。
しかし、コロナが明けてまた元に戻ってしまうのか。

筆者は、なるべく移動させずに展示できる独自の宝物館的な施設を持てればベターと考えておられるようだが、これだけの膨大な量の宝物を所蔵・展示する施設となると、なかなか難しいのも現実。
そのジレンマを続ける中で、定年を迎え、これまで考えてきたこと、やってきたことを、総括的に1冊にまとめてあり、ひじょうにわかりやすかった。
毎年正倉院展に足を運んでいる私にとってはなおさらだ。

書かれていることは、極めて真っ当と思われるので、後継者の方々は、本書に書かれていることをベースにさらなる検討を重ねてもらいたいと感じた次第。
高松塚古墳の壁画のようなことは、絶対に避けなければ、ご先祖様に申し訳がたたない。
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隠岐巡り その3

2023年04月08日 | Other Western Japan


今日は、早くも隠岐ツアー最終日。
まずは、西ノ島の別府港から、島後・西郷港へ。
ジェットフォイルで、スピードはフェリーの倍?
別府港近くには、後醍醐天皇ゆかりの地があるが、島後にもあり、真相は、藪の中?
西ノ島には、出港した港まで、特定されていたが。



島後に戻ってまず向かったのは、モーモードーム。
牛突きが行われる。
牛突きは、全国に残るが、牛突きの名は、ここだけ。
かつ、人が付いて牛を操りながら戦う。
以前は、隠岐4島で行われていたが、今も残るのは、島後のここだけ。
年4回公式試合がある他、ツアーがある時のみ勝負なしの牛突き(ショー)が行われるという。
伝統継承も大変だが、気合いの入った戦いを見せてくれた。



その隣に隠岐国分寺がある。
聖武天皇の時代に創建されたが、御堂は、その後何度も建て替えられた。
特に、廃仏毀釈時は、酷かったという。
ただ、その境内がそのまま残されて、寺として残っているところは、珍しい。



島後では、隠岐国分寺に、後醍醐天皇がおわしたことになっている。
この碑は、近衛文麿揮毫。
軍拡主義に突き進んだ時代だった。



ここが、元本殿のあったところ。
礎石のみが残る。



敷地内に、蓮華会之館が併設されていて、アジア各国の踊りが継承されていて興味深かった。



東大寺の開眼会を思い起こさる舞が長く受け継がれてきたという。
雅楽よりも、より広い地域の影響を受けている舞のように見えるが。
かつては、120種あった舞が、今は、7種になったというが、大切に引き継がれている。
ビデオをでダイジェスト版を見ることができた。



今回の訪問地の最後は、玉若酢命神社。
何度も前は通ったが、最後に訪れた。



この杉は、八百杉と言って、島内では、かぶら杉、乳杉と共に、三大杉に数えられている。
推定樹齢は、2000年以上。
落雷により、背丈は短くなってしまったが、太さは、確かに太く、根本の周りは、20mを超える?



社殿は、江戸時代の物だが、重文に指定されている。
一宮ではないが、隠岐の総社の地位にある。



縄の重さは、1t以上。
伝統の重さを感じさせる。



最期は、黒磯牛のロースビート丼。
以前の行程では、海鮮が続いたので、他種の料理も入れて欲しいという意見があったそうだ。
頭数が少ないので、希少価値だそうだ。
確かに美味しかった。

1と3日目は、時間がやや短かったけど、驚きの3日間だった。
交通の便がいまいちだが、便利になったらその良さも失われてしまうかもしれないし。

この恵まれた自然を生かして、頑張って欲しい。
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隠岐巡り その2

2023年04月07日 | Other Western Japan


今日は、隠岐2日目。 
まず島後の西郷港から、西ノ島の別府港へ。
途中、中ノ島の菱浦港に寄るから、間違って下船してしまうとたいへん。



最初向かったのは、由良比女神社。
やはり隠岐国一宮で、これで、隠岐国一宮コンプリート。
御朱印は、別府港の事務所でいただける。



桜が散り始めてて、境内がきれい。



祭神の由良比女は、素戔嗚尊の第八子だが、ここでイカに噛まれて、そのお詫びで、イカが押し寄せるようになったという。 このイカは、西ノ島の象徴的存在になっている。



そして、予定を変えてその後に訪れた赤尾展望所だが、絶望的な濃霧。
途中、牛や馬の放牧は、見れたが。
即諦めて、次の魔天崖も諦めて、その代わり、国賀浜の通天橋へ。
このガイドの機転が大正解だった。
最初強風だったが、途中から、風雨も止んできた。

これがメインの通天橋。
思っていたより巨大で、見る価値大。



天上界と名付けられた奇岩群。



それぞれの岩に名がつけられているが、特に尖った観音岩が、目立つ。
昨日、ロウソク岩は、見れなかったが、それに匹敵するか?



遊歩道の入り口付近に、国賀神社があった。
とにかくそこら中に神社がある。



昼食後、ガイドの本社との交渉により、魔天崖を再トライ。
雲も晴れて来て、期待が高まる。
牛たちは、天国完結なく、のんびり。
でも、野生化しているので、近づきすぎてはいけない。



晴天ではないが、摩天崖の迫力がある姿が見れた。
高さ257mという。
子供の頃陸中海岸に連れて行ってもらったが、どちらが凄いんだろう?
まさに、絶景と呼ぶに相応しい。



逆サイドには.内海が,見える。



摩天崖が見れた後は、ホテルに荷物を置いて、国賀海岸を海から見るツアー。
鶴丸さんが、ホテルも、レストランも、クルーズもマルがかえ。
船長さんが、板長だった。



まず、浦郷港から北上し、船引運河へ。
ここは、元は、船を陸に上げて引いて移動させたらしいが、20世紀にはいってから、340mの運河が,作られた。
この運河を通って、内海から、外海に出られる。
ところが、外までに出たら、やはり凄い波で、昨日に続いてクルーズ断念。
内海クルーズに変更になった。
ガイドの機転がなかったら、国賀海岸にある通天橋や、観音岩が見れないところだった。
不幸中の幸い。



内海を南下すると先端付近に、焼火(たくひ)神社の鳥居が見えた。
本殿は、海から見えなかったが、社殿は、重文。
海上守護神として、信仰を集めている。
明治時代になって、隠岐汽船が開業した時、その立ち上げ資金を出したのもこの神社というから、凄い。



イワガキの養殖いかだ。
20年前、全国で初めて成功したという。
普通の養殖ガキとの違いは、大きさか?



ホテルに戻ってから、付近散策。
これは最寄りの荒神社。
由緒は、不明。



日本としては、派手な鳥を発見。
たぶん雉。



マンホールは、イカ!



ということで、無事2日目も終了。
ホテル前の夕陽。
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隠岐巡り その1

2023年04月06日 | Other Western Japan


今日から2泊で、隠岐諸島巡り。
個別に手配すると面倒くさいので、ツアーに乗っかった。
総勢17名。
ツアーで隠岐に来たのは、我々のグルーブだけらしい。
定期フライトは、伊丹からと出雲からと1日1往復ずつのみというから、なかなかたいへん。
江ノ島が眼下。



伊丹経由で無事到着。
こじんまり。
よくこの小さな山だらけの島に空港が作れたものだ。
溶岩の粘度の違いで、平な部分が、あったらしい。



最初の隠岐自然館は、西郷港にあるが、空港から結構ぐるぐる走る。
この橋を渡ればすぐなのだが、バスは、重量の関係で走れないという。
コンビニもない離島だ。



隠岐自然館は、隠岐の魅力をコンパクトに勉強できる。
この立体地図とプロジェクションマッピングで、地理、地質、信仰なと、様々な切り口で、諸島の説明をしてくれる。
ブラタモリマスト?



黒曜石。
溶岩流が、急に固まるとできるという。
古代の貴重品で、山陰を通して本土に運ばれた。



竹島はすぐそこ?



かぶら杉は、山の中。
枝分かれがカブのようだから名付けられたという。
樹齢600年だそうだ。
この辺りは、武良(むら)と呼ばれる地区で、境港出身の水木しげるさんは、本名が武良であり、先祖は、この辺の生まれと確信したという。



次に目指したのは、白島展望台。
途中のこの花は、高山植物とのことだったが、名前は忘れた。



国境の島への距離。
竹島は、すぐそこ。



白島展望台からの眺め。
島一つ一つに名前が付けられている。
奇岩だらけだが、上からだと、細かくは見えず、島の裏側も見えない。
遊覧船も出ているようだが、乗る人はいるのか?



ガイドさん曰くバスクリン。
洞穴が見える?



こちらも、絶景。
ここで、残念なお知らせがあり、今日の目玉のロウソク岩への船が欠航でキャンセルになってしまった。
荒天ではなかったが、西側の波がきつかったとのことで、残念。



そして、今日の行程の最後になってしまった水若酢神社へ。
隠岐国一宮で、本殿は、江戸時代の再建で、重文。



流石の歴史を感じる。
奉納相撲は、何かのイベントがあった時に不定期に開催されるそうだが、徹夜かつ撒く塩の量が半端ない。
ソルト・シャワーと呼ぶに相応しい。
勝者は、柱に乗って帰り、柱は家に飾る。
凄い伝統だ。
必ず2番づつ相撲を取り、一勝一敗にするのだという。



本殿は、隠岐作りと呼ばれるが、出雲と伊勢と春日のいいとこ取りという。
ガイドは、混ぜご飯と呼んでいた。
確かに、珍しい形。



隠岐石楠花。
ちょうど、咲き始め。



こちらは、御衣黄(ぎょいこう)桜。
みどり色の佐倉。
吉野で見たような気もするが、色が見事。
見れてラッキー。



昔の町役場が移築保存されていた。
隠岐郷土館として利用されている。
立派で、歴史を感じる。 
中の展示は、普通らしいが。



ロウソク岩が見れなかったので、神社内の展示施設へ。
なかなかしっかりしている。



見れなかったロウソク岩を映像で。
よく倒れずに残ったものだ。



ホテルに、予定より早く到着したので、付近を散策。
諸島内には、とんでもない数の神社がある。



手前が、イカ釣り漁船。
奥が、巡視船。
朝鮮半島と対峙している。

ということで、1日目終了。
明日は、島後から、島前の西ノ島へ行く予定。

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