CLASS3103 三十三組

しがない個人ホームページ管理人の日記です。

陶磁器を探す旅~京都国立博物館~

2006-11-09 09:05:39 | 陶磁器を探す旅と名物
さらに仕事に追われる日々が続き
堪えかねたために二度目の脱走をはかった私
今度は、東山七条まで逃亡いたしました

ちょっと前でありましたが
清水焼会館に行った際、ポスターで見た
京焼展覧会が催されているとのことで
喜び勇んで、初めていったのであります

京都国立博物館

この名称はよくよく考えると
京都国という国が作った博物館なんだろうかと
いらぬことを考えてしまうのでありますが
九州だろうとなんだろうと、全部こう表記されんだから
間違いはないのでありましょう
京都にある、日本国の博物館でありました
中は特別展示館と常時展示館とがあり
特別展示館のほうで「京焼~みやこの意匠と技~」が
開催されていたのでありますが、これがなかなか
見ごたえのある内容でありました

まずまず、古めかしい建物の中に入って
すわ、広がる展示物、おおお、いっぱいある
まずは京焼とかぬかしながらも
その京焼の源流となったんであろう、華南三彩と呼ばれる
中国から東南アジアで焼かれたらしい
なかなか立派な器やら、壷?やらが並んでいる
むぅ、古いというだけでそんなによい皿か?
ちょっとそんなことを思ったりしながら
ぐるぐると見てまわる

ここで、初めて気づいたというか驚いたことがあったのですが
割れた茶碗とかも、発掘された場所の名前で
大切に保管されているのであります
どれもこれも16~17世紀に焼かれたらしく
渡来してきたのもあるんだが、京都に埋まってた
割れ物も多いのだそうでして、これらがあれだ
考古学の発掘物と同じような展示をなされているのであります
さらにいうと、その解説も考古学のそれなのでありました

わたくし考古学めいた発掘なんといいますと
てっきり、縄文土器やら弥生土器なんぞといった
いかにもな物体しか思いつかなかったのでありますが
そうではない、古代から比べたらかなり新しい部類のはずなのに
さっぱりわかってないことが多い
どうやらそういうことで、そのような時代についても
発掘物を手がかりとして時代をつむいでおるのだと
まぁ、発掘ロマンについて開眼したのでありました
後々に、その発掘ロマンについて書いてあるコーナーがあったのですが
発掘して出てくるものは、本当に良いものではなく
捨てても惜しくないような焼き物しか発掘できない
そういうことなんだそうで、本当の名品とやらは
まずめったなことでは出てこないのだそうでありました

なるほどであります
そういうこともふまえると、ありがたく並べられている
いくつかの皿が、古いんだろうが大したことねぇなぁという
私の感覚は合っていたのだと誇らしく思うところ
しかして、こういう骨董の分野になれば
たぶん、見た目がよいとか悪いとかじゃなく
単純に誰が使った、どれくらい古い、そのあたりが価値基準になろう
奥が深いというよりも、基準があれこれなのだわと
一人もんもんと考えたのであります

というわけで、骨董よりも古いというか
発掘物関連の物体には正直よいと思われる
ステキなものは発見できなかったのでありますが
京焼が盛隆を誇り始めた時代の展示物
どうやら代表作と呼ばれている「御室焼」と「乾山焼」というのが
登場するのでありました、このあたりから名品らしい
目利きを養うため、うへへ、などとつぶやいて見守るわたくし
まわりには老男老女、ああ、若者なんぞいるわけがない
仕事に追われて逃げてきたのに
どうしてこんなところで潤されているんだろうと
いらぬことも考えつつ、名品の数々を見る

京焼というのはやっぱり絵付なのだわと
改めて感じたのでありますが、三彩と呼ばれる色付けが
ポイントなんだそうで、なかなかカラフルな
ステキ焼き物が並んでおりました、これについてはもう
信楽や備前の及ぶところではない、やはり
彩色というのは圧倒的に美しい
そういう結論を持つのでありました
さておき、御室焼なんぞという名前からしてなのでありますが
どうやらこの頃より高級志向というべきか
京焼=高価という図式でもないが、そういうものが成り立っていたそうで
貴族やらなんやらが好んで使う、ステキな物体
それゆえに華美を狙ったとかなんとかだそうで
今なお、京焼高ぇなと思うのは間違いでないのでありました
京焼は高いから京焼なのだ、間違ってはならない

一つ賢くなったと思ってから
いよいよ、京焼の代表作たる作品群を見る
中国の影響を受けたといわれる大きな壷に
赤、青、黄で美しく模様づけされたステキ物体
キジの形をした香炉、どでかい皿、壷、などなど
なんか天下とった秀吉の後ろに飾ってあったような
どでかい壷とか皿が、わんさか、おお、これは凄い
それをたらふく見たのであります

その京焼全盛の頃を過ごして、また時代が近づき
明治の頃などなんだとと展示は続き
どうやら衰退は、陶器が一般向けになったことだとか
世界的な日本ブームが終焉したことだとかが影響と
様々あった歴史が描かれて、途中で
アールヌーボーだらなんだらと融合した近代京焼とか
もうわからん、といったところで終了したのであります

途中、京焼の名人が作った
信楽の土の茶入れがあって、それにたらふく感動したのでありますが
これにより、信楽で茶入れが焼かれている事実を知り
いよいよ、信楽進出を心に決めるのであります
散文になっておりますが、ともかくそう思ったのだ

まだまだたくさんあり、磁器に近い壷もあったり
ものすごく美しい桜色の陶器については正直
これが京焼の実力かと、瞳孔が開くかというほど驚いたのでありますが
「旭彩山桜文花瓶」であってるのか、これが凄かった
白磁のような風合いで、うっすらと桜色を帯びる姿
その桜色の淡さと移ろいが、あまりの美しさに卒倒しそうなほど
これはすげぇ、本当にすげぇ
っつうか、これ京焼とか関係なくね?

結局、京焼とはどういうものか
よくわからないまま、様々な時代の
京都で焼かれた陶器を見てまわったのでありました
常設館についてはまた、次回にでも