第74回国民体育大会が茨城県で開催されますが今回は 2巡目の国体になります
茨城県では 1巡目の秋季国体が 1974年に第29回国体として行われています
当時の資料をご紹介させて頂きます
この写真に写っている物は私が今迄に参加した自転車競技の参加章を全て置いています
自分が走った大会のプログラムも全て保管しています
これは 1974年 第29回茨城国体 秋季大会 自転車競技のプログラムと
私が参加した国体の参加章です 全部で 13個有ります
国体では毎回デザインの異なる参加章が作られ
プログラムなどと併せて宿舎に到着した時に頂けました
大きな写真でご紹介します この時の国体のテーマは
水と緑のまごころ国体とされていました
プログラムを開けると当時の 県営取手競輪場の写真が載っています
ここがトラック競技の会場です
全てを紹介出来ませんが これは各種目の組み合わせで一般スクラッチレース
現在は少年、成年と言いますがこの頃は高校、一般と別れていました
スクラッチレースとは現在のスプリントレースの事で 現在行われている
スクラッチとは違います
組み合わせを見ると 今でも選手育成に尽力されている、城本量徳氏
のちに和歌山県車連の理事長に就任した、類家信雄氏 数々の輝かしい
戦歴を残した、長 義和氏などの名前を見る事が出来ます
10000m ポイントレース 今と比べると距離は短いですが 隔周ポイントで
最後は連続ポイントになるので 18回のもがきが必要でした
私は 森 幸春氏と走っています 長く自転車競技で活躍されました
横長 勇氏は後に石川県車連の理事長になられています
次のメンバーの 岩井公一氏は福岡県のイワイスポーツサイクルの店主です
今年創業 100年を迎える老舗で お父さんの一之氏も国体で優勝されています
これはプログラムとは別の資料ですが この大会の 4000m団体追い抜きの
成績です どのメンバーも国体入賞に相応しい選手達だと思います
皆さんもご存知な名前が有るのじゃないでしょうか
これは筑波山周辺の 149.6km のロードレースです 私も先頭集団で
ゴールしていますが、12~3位だったと記憶しています
入賞している10名は流石のメンバーです
この頃の大会は私の思い出話しの様になってしまいますが 往年の名選手の名前も何処かで
残したいとも思います この写真は国体とは関係有りませんが選手を辞めてから色々な大会で
お手伝いした時の役員章です 多くの大会を見て来ました
今週末には茨城国体の総合開会式が行われます 参加する選手はどうぞ頑張って下さい
茨城県では 1巡目の秋季国体が 1974年に第29回国体として行われています
当時の資料をご紹介させて頂きます
この写真に写っている物は私が今迄に参加した自転車競技の参加章を全て置いています
自分が走った大会のプログラムも全て保管しています
これは 1974年 第29回茨城国体 秋季大会 自転車競技のプログラムと
私が参加した国体の参加章です 全部で 13個有ります
国体では毎回デザインの異なる参加章が作られ
プログラムなどと併せて宿舎に到着した時に頂けました
大きな写真でご紹介します この時の国体のテーマは
水と緑のまごころ国体とされていました
プログラムを開けると当時の 県営取手競輪場の写真が載っています
ここがトラック競技の会場です
全てを紹介出来ませんが これは各種目の組み合わせで一般スクラッチレース
現在は少年、成年と言いますがこの頃は高校、一般と別れていました
スクラッチレースとは現在のスプリントレースの事で 現在行われている
スクラッチとは違います
組み合わせを見ると 今でも選手育成に尽力されている、城本量徳氏
のちに和歌山県車連の理事長に就任した、類家信雄氏 数々の輝かしい
戦歴を残した、長 義和氏などの名前を見る事が出来ます
10000m ポイントレース 今と比べると距離は短いですが 隔周ポイントで
最後は連続ポイントになるので 18回のもがきが必要でした
私は 森 幸春氏と走っています 長く自転車競技で活躍されました
横長 勇氏は後に石川県車連の理事長になられています
次のメンバーの 岩井公一氏は福岡県のイワイスポーツサイクルの店主です
今年創業 100年を迎える老舗で お父さんの一之氏も国体で優勝されています
これはプログラムとは別の資料ですが この大会の 4000m団体追い抜きの
成績です どのメンバーも国体入賞に相応しい選手達だと思います
皆さんもご存知な名前が有るのじゃないでしょうか
これは筑波山周辺の 149.6km のロードレースです 私も先頭集団で
ゴールしていますが、12~3位だったと記憶しています
入賞している10名は流石のメンバーです
この頃の大会は私の思い出話しの様になってしまいますが 往年の名選手の名前も何処かで
残したいとも思います この写真は国体とは関係有りませんが選手を辞めてから色々な大会で
お手伝いした時の役員章です 多くの大会を見て来ました
今週末には茨城国体の総合開会式が行われます 参加する選手はどうぞ頑張って下さい
ナショナルのフレームは当時工場へ出向き 斧 隆夫さんに相談し製作して頂きました
茨城国体
藤原冨美男氏は 確か大学を中退し1976年の佐賀国体では島野工業から参加していますね
森 幸春さんは宮田工業でしたが乗っていらっしゃった自転車までは記憶に残っていません
高橋松吉氏は もう少し後と言う訳でもなく前年度の国体には高校の部で参加しています
長 義一氏は法政大学を中退しこの年には仰る様に杉野鉄工からの参加でした
私にとっても懐かしい思い出です またお時間が有ればどうぞお立ち寄り下さい
コメントを有難うございました
初めてお邪魔します。
さて、さて、少々興奮しております(笑)。
1974年製のナショナルのオーダーロードを未だに乗ってらっしゃる、
この事だけで私の先輩になりますので、ハイ(笑)。
私より上の世代ですと、パソコンに縁遠い方が多く、
知らない頃の話を伺ったり、昔話で盛り上がる事が出来なく少々寂しさを感じていました。
"colnago"で検索していたらこのブログに辿り着き、あ~ら、ビックリの内容(^^♪。
1974年と言うと私がサイスポ誌を買い始めた年です。
この茨城国体参加選手の懐かしさ(笑)。
ロードで優勝した藤原富美男さん、まだ日大生だったんですね。
私の記憶では、その後、シマノへ入ったと思います。
森幸春師匠!
オレンジのメルクスに乗っていたんじゃないでしょうか?
高橋松吉さんが現れるのは、もう少し後ですね。
長義和さん!
当時は杉野だったと思います。
これから色々記事を読んで、またお邪魔したいと思います。
今回はプログラムのコース紹介で 筑波山周回折り返しコースと書かれてるのでそれに準じて記事内に書きましたが、 基本的にどの様なロードレースでもコース内に上り坂は入っています
この時の優勝タイムは 3時間31分21秒7 でした
平均速度は計算すると 42.47km/h になります
速く走るコツ・・・
自分が勝ちたい強くなりたいと言う強い意志を持ちち続け 日々の練習中は気持ちを集中して行うというのが基本だと思います
練習の方法は自分が置かれた環境に依って色々ですね
山周辺のロードレースと言う事は山あり谷ありなのでしょうか?
そして、それを150km近くもの距離をレースするのでしょうか。
どのくらいのTimeで走られるんですか?
kugachanはレースにも出ず、独り、マイペースで200kmちょいくらいは走れますが、行って帰ってこれると言うだけで、スピードには乗れません。
何かコツがあれば教えて頂けたら幸いに思います。