村上氏は言う。小説というジャンルは、誰でも気が向けば簡単に参入できるプロレス・リングのようなものであると。小説にとって誹謗ではなく、むしろ褒め言葉として、「誰にでも書ける。」と言い切る。
きっと、自分が過ごしてきた人生を振り返って、自分を主人公にしたてあげたノンフィクションの小説であれば、誰もが、ひとつは、小説が書けるであろう。自叙伝の作成を手助けするビジネスも出てきている。私も、他人が私だったらどう思うかは別にして、私自身は私の人生を今まで楽しく送ってきたから、自身を主人公にした小説をいつか書きたいと思ってきた。
しかし、『職業としての小説家』(本著)を読んで、私は、到底「職業的」小説家にはなれないと感じた。村上氏も、小説を長く書き続けること、書いて生活をしていくこと、小説家として生き残っていくことは、至難の業であり、普通の人間にはまずできないことだと述べている。それに、小説家は、多量の本を読んでいることが大前提とも村上氏は述べるが、それが私には、残念ながらない。村上氏の処女作『風の声を聴け』を読んで、「こんな小説は、自分でも書ける。」と言い張ったひとがいたようだが、私も試しに読んで挑戦してみたが、私には書けそうもない作品だった。
本著は、村上氏のひととなりを理解させてくれる書物である。村上氏は、「どこにでもいるひと」といっているが、そうは思えない、ある意味、「ノーベル賞」を受賞してもおかしくない巨匠作家に思うことにはばかりはない。
村上氏の小説家としてのスタートは、三十代でのふたつの偶然から始まる。ひとつは、1978年4月セリーグの開幕戦、神宮球場ヤクルト対カープ1回裏高橋の第一球をヒルトンがレフトにきれいにはじき返し二塁打を打ったその小気味の良い音と、ぱらぱらとまばらな拍手の中で、「そうだ、僕には小説が書けるかもしれない」と啓示のようなものを受け、処女作を書く気持ちになった。もうひとつは、その開幕戦から一年近く経った日、「群像」の編集者から、新人賞の最終選考に残ったと電話をもらい、そのまま起きて、妻と一緒に散歩中に、千駄谷小学校の近くの茂みの陰の一羽の伝書鳩をみつけた。拾い上げると翼に怪我をしており、近くの交番に届けた。良く晴れた気持ちのよい日曜日のことで、あたりが美しく輝いており、その時に新人賞をとることを確信し、その確信とおり新人賞を受賞した。小説を書くチャンスを与えられたと感じ、いまもその感触を思い起こし、自分の中にあるはずの何かを信じ、「気持ち良く」「楽しく」小説を書き、そのことが幸福につながっている。村上氏は、本当に自らにあう職業を、偶然に発見できたのである。それが、今まで、続いているのである。私も様々な偶然により、現在の職業にたどりついているが、村上氏のように「気持ち良く」「楽しく」過ごすことが幸いにできている。このことが肝心なのだろう。
丁度、バブルのときには、『ノルウェーの森』が大ヒットした。大金を得るオファーがある中で、自らがスポイルしてしまうことを避けたく、健全な野心をもって、40代直前に、アメリカに渡る。大金を得るような経験はないが、あったとして、スポイルされることなくはないと信じたいが、ここがまた、凡人と天才の境なのだろうと感じた。村上氏は、決して、健全な野心を失うことがない。
村上氏は、小説家とは、自分の意識の中にあるものを「物語」という形に置き換え(パラフレーズ)て、それを表現しようとするので、パラレーズの連鎖も起きかねず、「不必要なことをあえて必要とする人種である」と定義している。もともとあったかたちと、そこから生じた新しいかたちの間の「落差」を通して、その落差のダイナミズムを梃子のように利用して、何かを語ろうとしているのだと述べている。
そして、「物語」とは、現実のメタファーであり、人の魂の奥底にあるもの、人の魂の奥底にあるべきもので、魂のいちばん深いところにあるからこそ、人と人とを根元でつなぎ合わせられるものをいうのだそうだ。「架空の読者」(それは、「総体としての読者」でもあるわけだが)を念頭におき、意識の下部に自ら下っていく作業をしている。暗いところで、村上氏の根っこと、読者の根っこが繋がるという感触を受けるのである。「信頼の感覚」を村上氏は得ている。
結局、職業的小説家にはなれるひとはごくわずかであるが、職業的小児科医師、職業的政治家、職業的教師…、いずれの職業においても当てはまる真理を本著はのべていると読了して感じている。小さなきっかけをも肯定的にとらえて職につき、ついた職を心から楽しみ、職を通して人と繋がることができている実感(上述の「信頼の感覚」を自分なりに言い換える。)を持てているかどうかが「職業的」ということなのだと理解した。
以上
*参照 『職業としての小説家』村上春樹著2015年第1刷 スイッチ・パブリッシング
きっと、自分が過ごしてきた人生を振り返って、自分を主人公にしたてあげたノンフィクションの小説であれば、誰もが、ひとつは、小説が書けるであろう。自叙伝の作成を手助けするビジネスも出てきている。私も、他人が私だったらどう思うかは別にして、私自身は私の人生を今まで楽しく送ってきたから、自身を主人公にした小説をいつか書きたいと思ってきた。
しかし、『職業としての小説家』(本著)を読んで、私は、到底「職業的」小説家にはなれないと感じた。村上氏も、小説を長く書き続けること、書いて生活をしていくこと、小説家として生き残っていくことは、至難の業であり、普通の人間にはまずできないことだと述べている。それに、小説家は、多量の本を読んでいることが大前提とも村上氏は述べるが、それが私には、残念ながらない。村上氏の処女作『風の声を聴け』を読んで、「こんな小説は、自分でも書ける。」と言い張ったひとがいたようだが、私も試しに読んで挑戦してみたが、私には書けそうもない作品だった。
本著は、村上氏のひととなりを理解させてくれる書物である。村上氏は、「どこにでもいるひと」といっているが、そうは思えない、ある意味、「ノーベル賞」を受賞してもおかしくない巨匠作家に思うことにはばかりはない。
村上氏の小説家としてのスタートは、三十代でのふたつの偶然から始まる。ひとつは、1978年4月セリーグの開幕戦、神宮球場ヤクルト対カープ1回裏高橋の第一球をヒルトンがレフトにきれいにはじき返し二塁打を打ったその小気味の良い音と、ぱらぱらとまばらな拍手の中で、「そうだ、僕には小説が書けるかもしれない」と啓示のようなものを受け、処女作を書く気持ちになった。もうひとつは、その開幕戦から一年近く経った日、「群像」の編集者から、新人賞の最終選考に残ったと電話をもらい、そのまま起きて、妻と一緒に散歩中に、千駄谷小学校の近くの茂みの陰の一羽の伝書鳩をみつけた。拾い上げると翼に怪我をしており、近くの交番に届けた。良く晴れた気持ちのよい日曜日のことで、あたりが美しく輝いており、その時に新人賞をとることを確信し、その確信とおり新人賞を受賞した。小説を書くチャンスを与えられたと感じ、いまもその感触を思い起こし、自分の中にあるはずの何かを信じ、「気持ち良く」「楽しく」小説を書き、そのことが幸福につながっている。村上氏は、本当に自らにあう職業を、偶然に発見できたのである。それが、今まで、続いているのである。私も様々な偶然により、現在の職業にたどりついているが、村上氏のように「気持ち良く」「楽しく」過ごすことが幸いにできている。このことが肝心なのだろう。
丁度、バブルのときには、『ノルウェーの森』が大ヒットした。大金を得るオファーがある中で、自らがスポイルしてしまうことを避けたく、健全な野心をもって、40代直前に、アメリカに渡る。大金を得るような経験はないが、あったとして、スポイルされることなくはないと信じたいが、ここがまた、凡人と天才の境なのだろうと感じた。村上氏は、決して、健全な野心を失うことがない。
村上氏は、小説家とは、自分の意識の中にあるものを「物語」という形に置き換え(パラフレーズ)て、それを表現しようとするので、パラレーズの連鎖も起きかねず、「不必要なことをあえて必要とする人種である」と定義している。もともとあったかたちと、そこから生じた新しいかたちの間の「落差」を通して、その落差のダイナミズムを梃子のように利用して、何かを語ろうとしているのだと述べている。
そして、「物語」とは、現実のメタファーであり、人の魂の奥底にあるもの、人の魂の奥底にあるべきもので、魂のいちばん深いところにあるからこそ、人と人とを根元でつなぎ合わせられるものをいうのだそうだ。「架空の読者」(それは、「総体としての読者」でもあるわけだが)を念頭におき、意識の下部に自ら下っていく作業をしている。暗いところで、村上氏の根っこと、読者の根っこが繋がるという感触を受けるのである。「信頼の感覚」を村上氏は得ている。
結局、職業的小説家にはなれるひとはごくわずかであるが、職業的小児科医師、職業的政治家、職業的教師…、いずれの職業においても当てはまる真理を本著はのべていると読了して感じている。小さなきっかけをも肯定的にとらえて職につき、ついた職を心から楽しみ、職を通して人と繋がることができている実感(上述の「信頼の感覚」を自分なりに言い換える。)を持てているかどうかが「職業的」ということなのだと理解した。
以上
*参照 『職業としての小説家』村上春樹著2015年第1刷 スイッチ・パブリッシング