中央区でも、「何があったか」知るために、行政資料は、適切に保管をしていただきたいと思うところです。
まちづくり資料で、やや資料の保管が不安になるところがあります。
例えばの例として、以下の情報公開請求への回答書など。
情報公開の請求の文言を変えてどれほどの情報を保有しているかまだ確かめる点はあるとしてもhttps://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/26c18723b0d268998574f74f29a33bda、どのようなまちづくりをしたかの検証ができないのではと、危惧するところです。
〇過去の第一種市街地再開発事業関連資料について

〇風環境の調査資料

論説に言う、「民主主義の根幹が揺らぐのは、いったい何があったのかが闇に葬られるときである。」は、国においては当然のこと、ここ中央区においても、公文書管理は心して取り組みたいと考えます。
***********日経新聞20180716**********************
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180716&ng=DGKKZO32976250T10C18A7TCR000
「何があったか」知るために
上級論説委員 大林尚
モリカケ問題の解決がこんなに尾を引くのはなぜか。本社・テレビ東京の6月世論調査の結果をふり返ろう。
森友学園への国有地売却に端を発した財務省の文書改ざんについて、麻生太郎財務相は6月4日、問題にかかわった省内20人の処分を公表し、自らも1年分の閣僚給与を返上して一件落着とした。それでも問題が「決着していない」とみる人が75%いる。
安倍晋三首相は加計学園理事長を腹心の友と呼んだ。愛媛県庁の担当者は両者が3年前に会ったという記録を残したが、2人ともに国会答弁や記者会見で会っていないと表明した。これについて「納得できない」人が70%いる。
これら7割以上の人に共通するのは、事実がうやむやなままの幕引きは許さないという思いだろう。モリカケは、いったい何があったのかが、いまだに漠としているのだ。
2005年、国会は独占禁止法を改正し、カルテル・談合事件にかかわった企業に自首を促すしくみをつくった。
法を犯した企業への課徴金を上げ、返す刀でさっさと違反の事実を公正取引委員会に告白した企業には課徴金を減免した。談合仲間裏切りのススメである。法案が政府内で議論されていたとき、このやり方は日本の企業風土に浸透しないだろうという見立てが多かったが、現実は違った。
当時、公取委の竹島一彦委員長はこう話していた。「談合体質に染まりライバルと競うのを嫌がる企業を根絶やしにし、いったい何があったのかを白日の下にさらす効果を期待したい」。もはや談合を隠しおおせる時代ではない。
森友に話を戻す。財務省は処分公表時に自ら実施した調査の報告書を出した。記者会見で麻生氏は「どうしてそうなったのか正直わからない」と省内調査の限界を認めた。
いったい何があったのかを追求する機会はそれまでにもあった。3月27日、参院・衆院の予算委員会。佐川宣寿前理財局長の証人喚問である。
それが不発に終わったわけはふたつ。野党議員の攻め手の拙さと佐川氏が連発した証言拒否だ。前者は改善の余地があるが、大阪地検特捜部の捜査を盾に五十数回に及んだ後者は証人の正当な権利だ。
喚問の歴史は証言拒否の歴史である。1976年、ロッキード事件の小佐野賢治こそ「記憶にございません」で押し通したが、その後は「訴追のおそれがあるので」がまかり通る。ならばどうする。
16年に成立した刑事司法改革法は事件の真相究明に役立てようと、ふたつの道具立てを整えた。(1)容疑者らに他人の犯罪を明らかにさせる見返りとして刑事処分を軽くする日本版の司法取引(2)裁判の証人に「証言内容を刑事責任を問う証拠に使わない」と約束して証言を強制する刑事免責制――だ。ともにこの6月から使えるようになった。
国政調査権の重きを事実の解明に置くべく、国会が議院証言法を改正して(2)を援用してはどうか。むろん深刻な疑獄事件などにかかわった疑いがある人が証人になる場合は免責は適用できまい。しかし森友の一件は、個人の責任を棚に上げてでも財務省が組織としてどう動いたのかを明らかにすべき問題ではないか。
英国に先例がある。「特別調査委員会の証人は証言の代償として絶対的な免責特権を有する」と規定するのは下院規則だ。1689年の権利章典は「国会における言論の自由および討議または議事手続は、国会以外のいかなる裁判所(中略)においても、これを非難したり問題としたりしてはならない」(「人権宣言集」)と定める。事の顛末(てんまつ)をうやむやにしては同じ過ちを犯すという考えが古くから根づく国なのだ。
日本の国政調査権の源流は英議会にある。国会が刑事免責制を取り入れるなら、案件ごとに真相解明と当事者の処罰のどちらを重視するか、選択眼を養わねばなるまい。
証言法を改正しなくとも真相を究明する手立てはある。国会が行政府から完全独立した調査委員会を設け、委員選びに磨きをかけ、調査要員を十分に手当てし、当事者と関係者から徹底して聞き取るやり方だ。これは日本に先例がある。11年暮れ、国政調査権に基づき衆参両院が設けた東京電力福島第1原発の事故調査委員会だ。委員長は黒川清政策研究大学院大学教授。「事故は人災だった」と結論づけるまでに、大震災発生時の菅直人首相をはじめ、1100人から丹念に聞き取った。
英国の例をもうひとつ。イラク戦争を検証した独立調査委員会は16年7月、開戦時のブレア首相を指弾する報告書を出した。いわく「英軍の行動は法的根拠に乏しく不完全な情報と分析による」。記者会見した元首相は「開戦時の情報分析は結果的に誤っていた」と、時に声を震わせた。
戦地で家族を亡くした遺族には割り切れなさが残ったろうが、英国民の総意は何があったのかを残すことにあった。在英ジャーナリスト小林恭子(ぎんこ)氏によると、英国立公文書館には国王証印、閣議録、地図、写真、手紙、手書きメモ、落書き、名刺、電報、電子メールなどの数々が保管されている(「英国公文書の世界史」)。
安倍首相のみならず、与野党議員の多くが財務省の改ざんを「民主主義の根幹を揺るがしかねない」と非難した。その大仰な物言いにどれほどの切迫感があるか。民主主義の根幹が揺らぐのは、いったい何があったのかが闇に葬られるときである。