3.11から10年 絵画、彫刻、写真、映像、そして音楽…表現は未来へ何を語り紡ぐのか?
『もやい展』の出演者、歌手 白崎映美氏
「人が人の悲しみをつくるのは一番悲しい。自然災害ならばいつか立ち上がっていくしかないと思うけど、人が人の悲しみをつくってはいけない。重く辛い現実で、誰もが一人で背負うことはできないけど、もやもやとしながらでも、考え続けなければと、どんよりしながらも思ったことでした。」
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3.11から10年 絵画、彫刻、写真、映像、そして音楽…表現は未来へ何を語り紡ぐのか?
その問いを考え、『もやい展』(4/1-4/8江戸川区・タワーホール船堀)に参加される芸術家を、まずは、追って行きたい。
東日本大震災に対し、今できることの一つとして。
参加者のひとり、彫刻家 安藤榮作氏の記事。
「津波や原発事故が物質を破壊しても、人の真心だけは消えない」
************毎日新聞**************************
https://mainichi.jp/articles/20210311/k00/00m/040/073000c
翻弄された者の視点で福島語り継ぐ 奈良へ移住した彫刻家の決意
毎日新聞 2021/3/11 11:45(最終更新 3/11 15:26) 1564文字
東日本大震災で福島県いわき市の自宅が流失し、東京電力福島第1原発事故で家族と共に奈良県に移住した彫刻家、安藤栄作さん(59)が4月1~8日、震災と原発事故後の生き方を問う作家らが東京で開く展覧会に参加する。自分は福島から逃げたのではないか。体験を言葉や作品で語りながらも、迷う年月を過ごした。11日で震災から10年。記憶が薄れる人も多い中で、「忘れて無きものにされないよう、語り部として存在していかなければならない」と覚悟を決めた。【久木田照子】
東京の下町出身。東京芸術大を卒業後、「自然が豊かな土地で制作したい」と、1990年に妻で彫刻家の長谷川浩子さん(59)と1歳の長男といわき市の山間部に移り住んだ。長女も生まれ、子供が通学しやすい同市沿岸・久之浜に転居した。
作品が評価されなければならない、と感じていた。収入がなければ作家活動を続けられず、子供の学費も捻出できない。過去の延長線でない作品を生みたい、変わりたい。過去の作品を浜で焼いてしまおう、とも考えた。
そんな時、震災が起きた。東京の大学に通う長男を除く親子3人で市内の商業施設で被災し、車で夜を明かした。カーナビのテレビや知人らが久之浜の状況を伝える。後の情報によると、地区では40人以上が亡くなった。
翌日、自宅から約30キロの原発の事故を受け、浩子さんの実家がある新潟に車で避難した。4月初旬に初めて戻った時、夫妻が子供のために彫った人形と車のおもちゃが、がれきの中で無傷で残っていた。地区の小さな社も近くにたたずんでいた。「津波や原発事故が物質を破壊しても、人の真心だけは消えない」と思えた。
被災直後、50歳になった。人生の節目に最悪な状況に陥ったが、「『真に強いもの』に出合えた。これからはそれを大切に生きよう」と決めた。制作環境と長女の転校が両立する移住先を探すのは苦労したが、5月末に3人の希望が一致した奈良県明日香村へ。2012年からは天理市に住む。
斧(おの)で木を彫っていく制作活動。奈良に移住後は、作品の評価を意識せずに自由に取り組めるようになり、平櫛田中賞などの賞を続けて受けた。
今年4月に東京で開かれるのは、原発事故や震災に向き合う絵画や写真、音楽などの作家が集まる「もやい展」。福島の撮影を続ける写真家、中筋純さん(54)が「被災地に対する無関心が広がり、人々が分断されていく」との危機感から呼びかけ、17年に東京、19年に金沢で開かれた。安藤さんは三重県名張市の個展会場で中筋さんに誘われ、金沢から参加した。
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安藤榮作氏SNS https://www.facebook.com/profile.php?id=100003315392866
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