写真家中筋純氏。
彼は、チェルノブイリ、そして福島第一原発を追って来た写真家です。
彼のカメラを通し、3.11を考えたいと思っています。
彼が、写真家として大切にしているもの、詩人アーサー・ビナード氏との対談から、①「当事者であること」と感じました。
和歌山出身で、福島に親戚もいない彼が、果たして「当事者」でありうるか?
「コンセントの向こう側」とも通じるところであるし、彼の行動がそうさせています。
●彼のスタイルが現れた写真:
②彼の撮る写真からは、観る以上の感覚、それは、においであり、音であり、感触が伝わってきます。
どうやって生みだせたの?
●何が聞こえますか?:
●何が見えますか?最も強烈だった写真。それを彼はどう表現したか:
●何が見えますか?何気ないと思うとたいへん。:
そして、③そして切れ味の鋭い言葉を、詩人のように操ります。
「もやい」に込めた思いとは?
彼は、④時間を撮るし、⑤ものに宿る命をも撮ります。
●時間を撮る、私が、最も心打たれた写真、この写真の隣がさらに衝撃的:
●ものに宿る命を撮る:
彼の写真を観ることで、私にも問いが生まれます。
自身への問い:
1、言葉がうまく使われすぎていないか。どうする?
●この言葉大丈夫?:
空虚な言葉を見抜く力とは?
2、東京2020を、復興五輪と呼んで果たしてよいのか?
歌人三原由紀子氏は、詠まれています。
・復興と言われてしまえば本当の心を言葉にできない空気
・復興は「なかったこと」の連続で拠り所のなきふるさとになる
忘却と対峙する五輪にするには?
逆転のシナリオを描けないか?
●果たして、復興の下には?:
3、「サマショール(わがままな民)」、でも、「故郷をさることを選んだひと」も、「故郷に留まることを選んだひと」も、善いと思って選んだことでは同じなのに…。その両者でもし、対立なんかが生まれることは、本当に不条理なのでは?なにが起きているのだ?
●ネット上で話題提起されました。:
シナリオに乗せられていないか?
力を合わせて、真に向き合うべきものはなにか?
4、大人の責任で生んでしまった人災に、「未来」というバトンを子どもたちにどう渡す?
もやい展、すなわち、絵画、彫刻、写真、映像、そして音楽…表現は未来へ何を語り紡ぐのか?
5、コロナで、また、同じ過ちを犯してないか?
など
●ウェビナー開催:2021年3月6日(土)13時-15時
開場12時30分~
参加申し込み:https://peatix.com/event/1831407/view
呼びかけ人:小坂和輝
詳細:3/6(土)写真家中筋純に問う 3.11から10年 絵画、彫刻、写真、映像、そして音楽…表現は未来へ何を語り紡ぐのか?