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真の意味での「地方分権改革」とは? 片山善博慶應義塾大学大学院教授

2013-03-07 17:12:45 | 地方分権改革
 まちづくりのMLより情報をいただきました。

 以下、片山善博慶應義塾大学大学院教授インタビュー記事は、地方分権改革の真の意味での実現に向け、たいへん参考になる内容だと思います。

 地方分権は、政治の大事な方向性です。

 ただ、どのようなものを目指すべきなのか、国民ひとりひとりがきちんと理解せねば、正しい政策の実現に向かいません。

 私は、「地方分権改革」を行う上での大切な理念は、「格差を生むことなく、地方の自主性にまかす手法の確立」だと思います。





******nippon.com ホームページより*****
http://www.nippon.com/ja/in-depth/a01802/
誰のための地方分権なのか


竹中 治堅 (聞き手)
政治・外交
[2013.02.20]

20年におよぶ地方分権改革。かつて国会が唱えた「国民が等しくゆとりと豊かさを実感できる社会」は近づいたのか。前鳥取県知事で、先の民主党政権で総務大臣を務めた片山善博慶應義塾大学教授に、nippon.com編集委員の竹中治堅・政策研究大学院大学教授が聞いた。




片山 善博KATAYAMA Yoshihiro慶應義塾大学大学院教授。専門は地方自治、地方財政、地方税。
1951年岡山県生まれ。1974年に東京大学法学部卒業後、自治省に入省。大臣秘書官、国際交流企画官、府県税課長などを歴任し、1998年に退官。1999年鳥取県知事選に出馬して初当選。2007年の任期満了まで8年間にわたり地方からの改革を推進し、県民から高く支持された。その後、鳥取大学地域学部客員教授、政府の行政刷新会議議員などを経て、2010年9月より民主党・菅政権下で総務大臣に就任。2011年9月に大臣退任後、現職。




改革のミッションを整理せよ

竹中 今年は、1993年に国会が地方分権の推進を決議してから20年という節目の年にあたります。この間に政府や有識者による議論が重ねられ、国の機関委任事務の廃止や市町村合併、三位一体改革、国と地方の協議に関する法整備などが進みました。一連の改革をどう評価されますか。

片山 評価はさまざまだと思いますが、一番の問題は「地方分権」というミッションそのものが明確になっていないことです。関わる人の立場によって、地方分権に対して描くイメージが必ずしも一致していない。

例えば、地方にある国の出先機関をなくすと言ったときに、これは国の仕事を地方に下ろし、権限が移譲されるわけだから分権化につながると考える人たちがいる。その一方で、これを行政整理の一環だと位置付ける人たちもいるわけです。つまり分権の視点からではなく、出先機関の廃止によって国をスリム化でき、経費節減になるという考え方ですね。小泉政権下で行われた「三位一体改革」も、実は全くの呉越同舟でした。地方分権についても同様で、ミッションの整理が必要だと思います

竹中 確かに、定義がそもそも曖昧でミッションが共有されていませんね。片山先生ご自身は、「地方分権」がどのような方向へ進むべきとお考えですか。

片山 ミッションと申し上げましたが、そうした本質的な問題に対して、私は常にシンプルに考えるようにしています。それは「誰のために」「何のために」やるのかということです。地方分権の場合はどうか。それは紛れもなく住民のためだと私は思います。誰もが自分たちが暮らす、あるいは仕事をする地域の環境ができる限りカンファタブルであってほしい。それを実現するのが地方自治です。その際に自分たちの地域のことは自分たちで決められるほうがいい。本質的なポイントはそこにあると思います。



国法にからめとられた地方行政

竹中 自分たちで決めるべき、というのは具体的にどういう分野になりますか。

片山 もちろん1から10まで地域で決めるというわけではありません。教育で言えば、6-3制の問題や教員の資質といった大枠の話は国が決めるべきです。しかし、学習カリキュラムや学級編成などは地方によって多少の可変性があっていい。

市町村道の改修についても、国土交通省に事実上お伺いを立てなければ実施ができません。こんなことは国の在り方には直接関係がない。地方に任せるべきではないでしょうか。

竹中 現行の仕組みを変えるには、どのような手続きが必要になりますか。

片山 国法で決められているものは、すべて国会を通して法律を改正していくほかありません。例えば、私が総務大臣を務める以前は、自治体が地方債を発行する際にすべて国の同意が必要でした。政府資金のみならず、民間の金融機関からお金を借りるときでさえ1件ごとに、総務省と財務省にお伺いを立てなければならなかった。

そこで、私が総務大臣になったとき、民間金融機関から借りるものは枠管理にし、自治体ごとに一定の上限額内で自由にやりくりできる仕組みに変えたのです。その際も地方財政法の改正が必要でした。仕組みを変えるごとに、そうした改正を一つひとつ丹念にやっていくしかないんです。



改革派知事のしたたかなる戦い

竹中 鳥取県知事を務められた8年間には、地方からさまざまな改革を実現してこられました。国が権限を持っているために、県としてご苦労されたことが多々あったと思いますが。

片山 そうですね。道路で言えば、当時最も急がれた課題が、中国横断自動車道の姫路鳥取線の全線開通でした。そこで国交省へ陳情に行くと、お金が足りないから今年度は事業の一部しかできないと言う。ところが同時期に、農水省からは農道の予算があるから使えと売り込みが来る。蛇口が違うとはいえ、同じ国費で鳥取県が必要としている道路を建設するのだから、その選択は県に任せてほしいと思いましたが、その時は実現しませんでした。そこで総務大臣になってから、国の「ひも付き補助金」に代わり、地方自治体にとって自由度の高い「一括交付金化」を導入したんです

竹中 一括交付金化は、自民党が廃止にしようとしていますね。国の権限が弱まることを懸念してのことでしょうか。

片山 出どころはおそらく霞が関だと思います。一括交付金は内閣府が各都道府県に配っていましたが、その予算は国交省や農水省などが持っていた補助金を供出させていたんです。その結果、国交省の場合は自分たちで配分できる道路の補助金が減り、財務省では主計官の査定権が減る、ということが起きた。そうした官僚たちの声が反映されていると思います。

政治家も地元の陳情に対して国に口利きして実現してやる、という昔ながらのやり方をしたがっているのでしょう。しかし「新生自民党」を標榜するなら、そんな旧来のビジネスモデルは払しょくすべきです。「この道路はわしが作ってやった」などと言っているようでは、いつまでも政治主導は実現しません。

竹中 米子空港の出入国管理と検疫体制の拡充にもご尽力されたと聞きました。

片山 当時、米子空港と韓国のインチョン空港を結ぶ国際定期便が始まろうとしていたのですが、CIQ(税関・出入国・検疫)の人員不足で体制が整わないと言うんです。CIQというのは国の権限なんですが、公務員の定数管理計画があるから増員は無理だと。そこで「国にできないなら、われわれ県にやらせてくれ」と要請しました。人の検疫であれば県立病院の医者がいます。動物・植物の検疫でも県に関連のある研究所があるし、出入国管理は県警ができます。それでも動かないので、「構造改革特区でやってもらえるよう、小泉首相(当時)に頼みに行く」と言ったんです。すると一気に話が動きました。権限を奪われるとなると、みな真剣になるんですね。結果的にはCIQ機関に数百人規模で人員が増えました。

竹中 2000年の鳥取県西部地震の際は、県の予算で住宅再建補助をなさっていますね。

片山 はい。被災した方々が県内に住宅を再建する際の手助けとして、県から300万円の助成金を出しました。しかし、国からは猛反発があったんです。財務省も自治省も国交省も一斉に反対した。というのは、阪神淡路大震災のときにも被災者の二重ローンが問題になったのですが、国は「税金というのは公的なお金であって、個人の資産形成に投入するのは憲法違反になる」という理由で支援しなかったんです。もし鳥取県が助成をしたら、その説明がウソになってしまうと。

しかし、中央の役人に「憲法の規定というのは、第何条ですか?」と問いただすと、一瞬黙って「…それは理念だ」と言うんです(笑)。せっかく神戸が納得してくれているのに、蒸し返さないでほしいという気持ちもわかりますが、住む家もないまま困っている県民がいる以上、そちらを優先させることとし、「激しく円満に」別れました。その際、特別交付税や補助金を減らすといった嫌がらせを受けないよう、「万一そんなことがあれば、出るところに出ざるを得ない」とくぎを刺しておいたんです。すると、その年度の特別交付税が大幅に増えていました。弱者にとっての最大の手段は情報公開ですから



果たして分権改革は進んだのか

竹中 この20年に、自民党と民主党がそれぞれに分権改革を政策に掲げてきましたが、どちらの施策がより改革を推し進めたと思われますか。

片山 どちらとも言いにくいと思います。一つは意識の問題です。自・公政権時代は、建前だけでも「分権しなければ」という意識と、それに対する党内のコンセンサスがあった。しかし、現実的には国会議員や官僚たちの裁量権を減らすことになるので、極めてリラクタント(渋々とした態度)でしたね。つまり「遅々として進めてきた」わけです。

一方、民主党政権は「官僚主導から政治主導へ」を標榜し、地域主権改革を大胆に進めることをマニフェストに謳っていました。その志は良い。しかし、民主党の特性とも言えますが、党内の意識共有が全くできていなかった。政府各部門に入り込んだ人たちは、途端に後ろ向きになり、改革の足を引っ張りましたね。

会議の場では、地域主権改革担当大臣である私が、彼らを説得しなければならなかった。「あなた方のマニフェストに書いてあるのに、なぜ私がこんなことを言う必要があるのか?」と感じたことが度々ありました。地域主権を改革の一丁目一番地と位置付けていたのとは裏腹に、本気で取り組んでいた民主党議員は極少数で、ほとんどの人は上の空でしたね。

もう一つは、「地方自治」の捉え方です。地方自治には「団体自治」と「住民自治」という2つの側面があります。「団体自治」とは国に対して地方自治体の独立性を強めるということで、「住民自治」というのはその地方自治体の中で住民の意思を反映しやすくするということです。この両輪があいまって初めて本来の地方自治が実現するのですが、民主・自民ともに団体自治の強化にしか関心がなかった

「権限移譲」と言っても、それは官僚の権限を首長に渡す、あるいは国法を定める国会の権限を地方議会に移す、ということであり、そこに住民は登場しないわけです。知事と議会ばかりが強くなり、住民は蚊帳の外のまま。これでは「知事たちの、知事たちによる、知事たちのための分権改革」です。地方自治とは住民自治でもあるのだから、国の関与が減ったのなら、本来は住民の関与を増やすべきでした。例えば議会の在り方を変えるとか、議会を補完するために住民による直接的政治参画の機会を拡充する、といった考え方が必要だったのです。これを総務大臣として法案をまとめた矢先に東日本大震災が起こり、実現しなかったのが心残りです。



住民参加は地方自治の原点

竹中 地方の自立を促すには、税源移譲を中心とする地方税財政制度の改革が不可欠だと思います。国はどの程度まで税源を移譲すべきとお考えですか。

片山 国税を減らして地方税を増やすほうが、地方にとっては当然良い。しかし、全国一律の税率を前提に、地方の行政需要の水準に見合った地方税率にすると、東京都はむしろジャブジャブになってしまう。ですから、財源節約論の観点から言えば、東京都が自前でなんとか行政運営ができる程度の割合にし、財源が不足する県には国が財源を調整・補填するというやり方が合理的だと思います。

問題は、交付税制度や地方税制度があっても、なおかつお金が足りないときに、ツケをどこに持っていくか。今はそれが国からの支援や地方債になっているのですが、これは不健全です。本来のラスト・リゾートは住民であるべきです。何か大きなプロジェクトを起こす際に、「住民の皆さん、これを実現するために税金を増やしてもいいですか?」という問いかけがあっていいはずです。

現在、国と地方の財政構造は税を固定しており、地方交付税や国庫補助金は可変要素、つまり陳情に行けば結果的に増える要素になっています。だからラスト・リゾートが国や地方債になるのです。それを逆転させ、地方交付税や国庫補助金を固定し、ある程度標準的な行政制度ができる状態を確保し、それを上回る場合は住民に問う。そうした自治体と住民との双方向のやりとりが地方自治の中に組み込まれれば、北海道夕張市のような自治体破たんは起きにくいはずです。ラスト・リゾートの転換を図るべきです

竹中 自治体ごとに税制が異なると、地域間の競争が予想されますね。努力する自治体と問題意識のない自治体とでは、経済格差も生まれるでしょう。これを懸念する声も出てくるのではないでしょうか。

片山 ある程度の競争はあって良いと思います。義務教育や障がい者福祉など、一定の部分については国が行政の標準仕様を作り、財源保障に責任を持つことが必要だと思います。いわゆるナショナル・ミニマム(※1)です。一定の財政ルールがあり、それを上回る部分については地方が住民の同意を得て自由にやりなさいというのが良いのではないでしょうか。

以前、イギリスの自治体について調べてわかったことですが、市町村規模の自治体でも自前の収入の割合はさほど多くないんです。日本の過疎地のレベルに近いところも多い。けれども、彼らは財源を「カウンシル・タックス(※2)」の税率で調整していて、地方自治の運営に活力があるんです。

例えば、学校の校舎を立て替えるとき、「ではカウンシル・タックスの税率が上がりますが、よろしいですか?」という議論を議会でやる。国からも予算がつくのですが、金額がきちんとルール化されており、陳情に行かなくても補助金の額が予見できるようになっています。それでも賄えない部分をカウンシル・タックスの課税標準額で割り返せば税率が算定できるので、それをもとに議会で増税しても良いかを議論する。少なくとも財政破たんが起きることはない。これが、ラスト・リゾートが住民すなわち納税者に向かうということの意味です。

これによって何よりも議会に活気が出てきます。議会というのは、もともと税を論じる場です。本来は、歳出を増やせば税が増えるという理解のもとに議会があるはずなのに、日本では税が事実上固定しているため、議論が歳出だけに偏り、誰も税のことを論じない。こうした日本の地方議会というのは、国際標準から見れば特異な例でしょう

現在は、税率以外の非常に細かな特例までも、国がすべて税法で決めています。逆に言えば、すべて国が決めてくれるから首長も議会も納税者と向き合う必要がない。税について考えなくていいから、地方議員たちはみな、歳出の拡充にばかり目を向けています。しかし、住民が自分で税の仕組みや税率を決めることができるようにすることが、地方自治の原点だと思います

竹中 今日は貴重なお話をありがとうございました。

撮影=山田 愼二



(※1)^ 政府が国民に対して保障する最低限の生活水準

(※2)^ イングランド、スコットランドおよびウェールズにおける地方税。住民が居住する行政区画(カウンシル・エリア) の自治体に対して支払う税金で、納付者の生活に身近な行政サービスに使われる。
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