十次は、長年の孤児教育を通して、彼独自の教育法を
作り上げていく。岡山孤児院12則である。
1.家族主義
2.委託主義
3.満腹主義
4.実行主義
5.非体罰主義
6.宗教主義
7.密室主義
8.旅行主義
9.米洗主義
10.小学教育
11.実業教育
12.托鉢主義
十次の日記を読むと10代のころから、自らを律する規則を
つくっている。これは十次の個性なのか、それともそのような
教育を受け . . . 本文を読む
孤児院を経営することも大変な困難を伴うことであるが、
それにも増して孤児を教育(養育)することの困難さは
計り知れない。
この時代に、孤児をどのように育てればよいか。
だれも教えてくれたわけではないだろう。
児童、それも困難を抱えた孤児を育てることを試行錯誤する
ことになる。
十次は、留岡幸助にも繋がる感化教育にもかかわっているが、
これは無理と1年あまりで中止している。
感化教育は今でも課題で . . . 本文を読む
十次は、多くの孤児を抱えながら、全員の衣食住をまかなって
いかなくてはならない。
収容児童一人あたり1ヶ月2.5~3円必要だったという。
ということは100名規模で、250~300円が必要なわけで、
これはお米に換算するすると(1円=20kg)だから、5000~
6000kgに相当する。
今、10kg4000円として、200~240万円の価値になる。
一人あたり月2~2.4万円で、院の経営すべて . . . 本文を読む
ライブドアのニッポン放送、フジテレビ買収ドラマは、
多くのことを考えさせてくれる。見方はいろいろあって、
いかようにも話を進めることができるけれど、もっとも
興味があるのは、みんなの反応だ。
結構、予想外の反応といってよいのでは。
放送の使命、報道の公共性など、新聞の紙面で記者などが
書いている。一般論として真っ当なことを書いているけれど、
その記事をどうみているか。想像してみよう。
まず、記 . . . 本文を読む
社会の中で、生きていく手段を見つけると同時に、
院の財政のために子どもたちができることはなにか。
職を身につけながら、実際に稼ぐという、今の授産施設
でも困難なことに十次は挑戦する。
では、どのような仕事をつくっていったのか、
列記してみよう。
1890年(明治23) 活版部 米搗部(こめつき)
1891年(明治24) 機業部(機織) 理髪部 麥稈部
(麦藁帽 . . . 本文を読む
孤児に何が必要か。
1、入院(孤児院に)させて、衣食住をあたえる。
2、教育することで社会の中で自活する精神と技術を身に
つけさせる
このことの大切さを、十次は十二分に理解していた。
ただ当初から考えが定まっていたわけではない。試行錯誤の
連続であった。
21世紀の今、児童虐待が問題や、児童教育の重要性、また
働くことの意味が課題になっているが、100年前に十次が
悩んでいたことと根本的 . . . 本文を読む
妥当な判決だ。
そういえば、最近フジ会長がテレビに出ないね。
まず、アレと思ったのは、新株増資の会見で、
フジテレビ会長が出席したこと。
これはニッポン放送の新株増資なので、実はフジテレビ
には直接関係がないことである。
これは明らかに地裁の裁判官の判断に影響している。
それを審尋の場で、ニッポン放送側の弁護士は
感じたのではないか。
その後、会長のぶら下がりはなくなり、テレビの前に
現れる機会 . . . 本文を読む
十次は、宮崎を愛しているし、父母も敬愛している。
それでもなお、故郷には居られない事情があった(3月7日掲載)。
当時の若者が立身を目指した政治の世界への夢はもう彼の
視野から消えた。
実業という道に興味はなかったのだろう。
「立志医学を修め、帰郷医術を施し、上江村の人民のためと
己自立のためにせんと欲す」
は、十次がこの場に及んで見つけた道だったのだろう。
十次がキリスト教に本格的に接するの . . . 本文を読む
石井十次日誌は1882年(明治15)から始まるのだが、
このように書かれている。
「7月20日 断然辞職 [国許 逃去 残禍]
22日岡山県行許可 「立志医学を修め、帰郷医術を施し、
上江村の人民のためと己自立のためにせんと欲す」
以後、宮崎に関す記述はないが1ヶ所、日記の欄外の
落書きに、彼の本心が表れている。
国許 逃去 残禍 祈祷 5年 世の中をいかに
最初の「国許 逃去 残禍 . . . 本文を読む
テレビで米映画「サイダー・ハウス・ルール」を観た。
1999年の作品である。
一言でいえば、孤児院で成長した少年が、院を出て社会を知る。
そしてふたたび、愛する人々が待つ院に戻ってくるという
物語である。(こう書くと「なんだそれ」となるよね)
とても感動的なドラマである。
この映画では、第2次世界大戦中のメーン州のニューイング
ランドの、街から遠く離れた大きな古びた孤児院が舞台に
なる。
こ . . . 本文を読む
1882年(明治15)、十次は岡山に医学の志を持って旅立つ
わけであるが、では、それまでどのように過ごしていたのか.
17歳にはなるまでにどのような教育を受けていたのだろうか。
このことに触れておく必要がある。
十次は、1865年(慶応元)に下級士族の長男として生まれた。
5歳にして寺子屋に入る。
7歳高鍋島田学校に入学。
9歳、宮崎学校に転校(下宿したと思われる)
13歳、自宅に戻り、再び高鍋 . . . 本文を読む
5日土曜日
☆地元の国会議員による国政報告会参加
30人強の参加者。
この4月に始まる介護保険制度改正について話し合う。
市社会福祉協議会のヘルパーさんやケアマネさんに、
現状を話していただく。
現制度の問題点、改正制度への不安がいっぱいである。
それでも、ヘルパーさんによって支えられてる高齢者の
方々への思いは、他の仕事では感じることができない
充実感が感じられる。尊い仕事だ。
このようなヘ . . . 本文を読む
「大阪市都市経営諮問会議」の解散が取り沙汰されている。
毎日新聞記事が6、7日と書いているが、行政(中央政府も)
の諮問会議や、公聴会をどのように取り扱いたいのか、
よくわかる。
一応、話は聞きました。後はこちらで決めますからお引取り
ください。
いつものパターンである。
100年以上続いた行政の傲慢である。
こんな話は大なり小なり行政にはあるという声が多い。
ならば、地元の行政機関を厳しくチ . . . 本文を読む
20話まで終りました。途中、資料の読みこみも進み、
次の22話から新たな資料も利用したいと思います。
途中から読み始めた方のために簡単に今までの話を書いて
おきたいと思います。
石井十次。ご存知の方、また初めて聞く名と思われる方、
いらっしゃると思います。
明治時代の社会事業家です。宮崎県で生まれ、医学を学ぶ
ために17歳の時、岡山に行くべく故郷を後にします。
医学生だったある日、女性遍路から . . . 本文を読む