北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

文化団体ボランティアの集い

2012-10-03 23:45:44 | Weblog
 博物館で開催された「文化ボランティアの集いinくしろ2012」で基調講演を依頼され1時間お話をしてきました。

 文化ボランティアの集いは今年が二回目の開催。

 博物館友の会、遊学館ボランティア、釧路芸術館ボランティアの会「SOA」さんが集まって、芸術や学術に関するボランティア団体が一堂に会して情報交換ができるようにしたいと、昨年から始まったのです。

 こうしたボランティア団体の集いは、全道単位や全国単位ではあるそうなのですが、そこに参加した釧路からの団体の皆さんから、「こういう集いが釧路市内にはない、というのも変よね」という問題提起から、昨年初めて開催されたのだそう。

 ただ、一口にボランティアと言ってもその範囲はとても大きいので、「文化団体ボランティア」というように文化芸術に関するボランティア団体に限定しての開催としたもの。

 この集いが開かれて以降は、相互にイベント情報を交換したり参加しあったりするようになったのですが、「なんか気になってしまって(笑)」とのこと。

 活動の関心がより広くなるというのは素晴らしいですね。


    ※    ※    ※    ※


 さて、そんな集いの基調講演をお願いされたのですが、今回は「カンケイの力~知らないより知っている方が良い」というタイトルで「関係していること」の価値と力についてお話をしました。

 「生涯学習とはただいつまでも勉強しようと言うことではなく、何事にも関係しようとする心のことだ」というのが私の持論ですが、それにも通じるお話です。



  
 ネタの一つは「物事(ものごと)」のお話。

 よく何気なく「物事」といいますが、実はこれは「物+事」に分かれます。

 「モノ」の方は、目に見えて写真に撮れて誰かが作ると誰かが管理するという性格の実体を持ちます。

 それに対して「コト」というのはそうした目に見える物同士の間にある関係性と捉えることができます。

 我々はモノが嬉しいのではなく、モノができたことで生じる利便や便益などの嬉しいコトを幸せに思うのです。

 高度成長の時代は、服でも電化製品でも家でもインフラでも、不足するモノがどんどん手に入りそれが幸せなコトの源でした。

 人と人、団体と団体との間にも互いを知るという関係が生じれば様々なコトが起きます。 

 阪神淡路大震災のときには、淡路島のある町でも多くの家が倒壊しました。

 その際に逃げ延びた人たちは集まって、「○○さんがいない」という事に気がつきました。

 そしてその人の家が倒れているのを見て、「○○さんはいつもあそこの部屋で寝ていたはずだ」ということを知っている人が現れて救出をすることができました。

 地域の人たちがお互いを知っている、関係をしているということは時としてこうした感動的なコトを生み出すのです。


 我々はモノが欲しいのではなく、モノが生み出すはずの幸せなコトを探すようにした方が良いでしょう。

 そしてそれはもしかしたら必ずしもモノがなくても、自分の心のもちよう一つ、行動のあり方一つでも変わると考えて良いのではないでしょうか。
 
 釧路でも町内会活動への参加率は50%そこそこで、地域コミュニティはなかなか強化されず悩ましく思います。

 文化団体ボランティアに限らず、自分たちが何かしたいという思いはボランティア団体やNPOなどのテーマコミュニティという形で広がりを見せています。

 こうした志ある行動が広がり相互に繋がることは地域にとっての財産であり、釧路市にとっても活力の源になるのです。

 市行政を担う我々にとってもとてもありがたいことで、心から敬意と感謝を申し上げたいと思います。

 改めて「関係の力」を見直して頂けたら幸いです。

 
コメント (2)
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