先日ある自治体の市議会議員の方と話をする機会がありました。
自治体の議会運営はまさにそれぞれ独自のやり方があるのですが、その自治体では最近、本会議とともに、常任委員会の様子もインターネット中継を始めたとのこと。
全ての議論を市民の目にさらすということになると、議会は活発化して様々な議論が進むようになったのか…と思いきや、「いやあ最近は委員会の開会時間が以前に増して延びてひどいんですよ」というお話。
「ええ?それって議論が活発化したということではないのですか?」
「確かに、自分はこう思うがどうか、という質問だったら、意見の相違はあれどそれぞれが政策のメリットやデメリットを主張しあって議論になります。しかしどうも発言しているパフォーマンスとしか思えないような発言も増えたんです」
「パフォーマンス的な発言といいますと?」
「たとえばちょっとした数字や制度などの説明を担当者に求めるような質問があるわけです。そんな細かなやりとりは、普段から担当者と仲良く教えてもらったりしているわけですから、事前に聞いておけば良いだけのことでしょう。そんな細かい質問をわざわざ委員会の場で時間を使ってするなんて、私には時間の無駄としか思えないんです」
「ははあ、なるほど」
「そうではない、そこで質問をすることに意義があるんだ、というような、私と違う意見をお持ちの方もいるでしょう。でも限られた時間の中で誠心誠意議論を尽くそうと思えば、事前に予習をして中身の濃い議論をしたほうが私は価値があると思うんです。だからただ黙っていないぞ、ちゃんと発言しているぞ、というだけでは単なるパフォーマンスであり勉強不足ではないか、と言うのです」

※ ※ ※ ※
この方はだいぶ憤っているようでしたが、背景にはネット配信が始まったことで、黙っていて発言をしない議員などに対する風当たりが強くなっているということがあるようでした。
それが仕事をしている風には見えない、ということなのでしょうか。
しかし議員の場合は、発言をするしない、発言の内容の巧拙なども含めて全てが一人ひとりの議員活動であり、それは選挙の時に有権者から審判が下されるというものなので、それはそれで結構なのだと私は思います。
ただ最近はネットでの情報公開が進んだ結果、議員としてどんな場面でどんな発言をしたかとか、どういう主張をしたか、などを調べて公開するウォッチャーなども出始めています。
そして、例えば定例会議で質問をしたのかどうか、どんな内容か、などが記録として残されて、ともすると『成績表』のような形で一般の市民の目に触れることだって十分にあり得る時代になりました。
ネット住民の力って馬鹿にできるものではありません。
またさらに時代が進めば、単に質問や発言をしたかしないかだけではなく、どんな発言をしたか、その内容は妥当なのか無茶なのか、といった『質を問われる』ことになる時だって来るかも知れません。
そういう意味でも、普段からブログでもSNSでも、自らの情報を積極的に発信することを当たり前にしているという活動には意味があると思います。
何かあると、「もう投票しない」と冗談半分にでも脅かされる議員の皆さんも大変でしょう。
普段からの発言で、共感と信頼とを積み重ねて行く、この『関係性』ということはとても大切です。
どうしたってネット時代はさらに進むのですから、ネットというツールは上手に使いたいものですね。
自治体の議会運営はまさにそれぞれ独自のやり方があるのですが、その自治体では最近、本会議とともに、常任委員会の様子もインターネット中継を始めたとのこと。
全ての議論を市民の目にさらすということになると、議会は活発化して様々な議論が進むようになったのか…と思いきや、「いやあ最近は委員会の開会時間が以前に増して延びてひどいんですよ」というお話。
「ええ?それって議論が活発化したということではないのですか?」
「確かに、自分はこう思うがどうか、という質問だったら、意見の相違はあれどそれぞれが政策のメリットやデメリットを主張しあって議論になります。しかしどうも発言しているパフォーマンスとしか思えないような発言も増えたんです」
「パフォーマンス的な発言といいますと?」
「たとえばちょっとした数字や制度などの説明を担当者に求めるような質問があるわけです。そんな細かなやりとりは、普段から担当者と仲良く教えてもらったりしているわけですから、事前に聞いておけば良いだけのことでしょう。そんな細かい質問をわざわざ委員会の場で時間を使ってするなんて、私には時間の無駄としか思えないんです」
「ははあ、なるほど」
「そうではない、そこで質問をすることに意義があるんだ、というような、私と違う意見をお持ちの方もいるでしょう。でも限られた時間の中で誠心誠意議論を尽くそうと思えば、事前に予習をして中身の濃い議論をしたほうが私は価値があると思うんです。だからただ黙っていないぞ、ちゃんと発言しているぞ、というだけでは単なるパフォーマンスであり勉強不足ではないか、と言うのです」

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この方はだいぶ憤っているようでしたが、背景にはネット配信が始まったことで、黙っていて発言をしない議員などに対する風当たりが強くなっているということがあるようでした。
それが仕事をしている風には見えない、ということなのでしょうか。
しかし議員の場合は、発言をするしない、発言の内容の巧拙なども含めて全てが一人ひとりの議員活動であり、それは選挙の時に有権者から審判が下されるというものなので、それはそれで結構なのだと私は思います。
ただ最近はネットでの情報公開が進んだ結果、議員としてどんな場面でどんな発言をしたかとか、どういう主張をしたか、などを調べて公開するウォッチャーなども出始めています。
そして、例えば定例会議で質問をしたのかどうか、どんな内容か、などが記録として残されて、ともすると『成績表』のような形で一般の市民の目に触れることだって十分にあり得る時代になりました。
ネット住民の力って馬鹿にできるものではありません。
またさらに時代が進めば、単に質問や発言をしたかしないかだけではなく、どんな発言をしたか、その内容は妥当なのか無茶なのか、といった『質を問われる』ことになる時だって来るかも知れません。
そういう意味でも、普段からブログでもSNSでも、自らの情報を積極的に発信することを当たり前にしているという活動には意味があると思います。
何かあると、「もう投票しない」と冗談半分にでも脅かされる議員の皆さんも大変でしょう。
普段からの発言で、共感と信頼とを積み重ねて行く、この『関係性』ということはとても大切です。
どうしたってネット時代はさらに進むのですから、ネットというツールは上手に使いたいものですね。