北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

【おまけ】阿寒湖畔ひょうたん沼の美しさ

2012-10-06 23:48:14 | Weblog
 いよいよ阿寒湖畔での一年ぶりの釣り。

 昨年は阿寒湖の対岸へ渡船で渡って楽しんだのですが、誰に訊いても「今は阿寒湖は全然釣れないよ」とのこと。

 どうやら九月の異常な高温続きで水温が下がっておらず、例年の季節感が狂っている様子です。

 湖畔の釣りの師匠に「それでも今釣れるところはどこでしょうか?」と訊ねたところ、「今ならひょうたん沼しかないね」とのことでした。

 ひょうたん沼は阿寒湖から少し釧路川へ戻ったところにある沼ですが、ここも釣りの穴場とのことで、朝5時に起きてひょうたん沼へと向かいました。

 現地にはすでにルアーの釣り人が三人いましたが、そのうちの一人はなんと市内の知人ではありませんか。

「これは偶然ですね!」と言いながらも、同じ趣味があると知ると親近感が湧きますし、これからの仕事上の会話も弾むことでしょう。


 
    ※    ※    ※    ※

 ひょうたん沼は着いた頃がちょうど小高い山から朝日の昇る頃。

 雲や光の移り変わりが得も言われぬ美しさで、釣りも良いけどこういう美しい景色を楽しめるのもまたアウトドアならではの楽しみと言えるでしょう。






 道東にいる限りは絶対に外に飛び出した方が得だとつくづく思います。

 さて釣りの方ですが、朝一番は魚のいる気配がしなかったものの、9時を過ぎて少し暖かくなった頃から活性が上がり始め、そこかしこでライズが始まりました。

 しかしもうさすがにドライでは食ってくれないようで、カメムシフライも早々と断念。

 昨夜宿でおかみさんから「夫(師匠)から渡してくれって言われてました」と二個プレゼントされた、沈めるタイプのフライで再チャレンジしましたが、これもかかりながら糸が切れて紛失。

 仕方が無く手持ちの、昨年アメマスでうまくいったフライで再度挑戦してみたところ…、

 来た!

 十分な手応えに慌てて岸へ上がりながらラインをたぐり、やっとのことでアメマスを一匹釣ることができました。



 計測は後で写真判定としますが、それなりの大きさがあって手応えは十分でした。


 結局6時間粘って今日の釣果はたった一匹だけでしたが、とても渋い状況での一匹だけに喜びもひとしおです。

「一生楽しみたければ釣りをしなさい」というのは有名な言葉ですが、何でもいいから地域を味わい尽くす趣味はよいものです。

 リゾート地に住む幸せを感じます。 
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北海道演劇祭in阿寒湖~前田光子さんの物語

2012-10-06 23:45:27 | Weblog
 今日は阿寒湖アイヌシアター「イコロ」で開催される第25回北海道演劇祭inまりも阿寒での歓迎のご挨拶です。

 北海道演劇祭は今年が25回目なのですが、今回は北海道演劇集団創立50周年記念、阿寒湖アイヌシアター「イコロ」開館記念、タンチョウとマリモの特別天然記念物指定60周年記念と、いくつもの記念事業が重なるおめでたい回となりました。

 今回は今日の6日から8日までの三日間に様々な演劇の出し物のほか、明日7日の夕方には『北の国から』でお馴染みの脚本家倉本聰さんを迎えてのシンポジウムなども企画されるなど、盛りだくさん。

 私からは、「シアターの名前の『イコロ』はアイヌ語で宝を意味します。マリモを始め阿寒湖を守ってくれたのは前田正名さんとその遺志を継いで今日の前田一歩園財団をつくられた前田光子さんなどのお力でした。こうした歴史も宝ですが、それを演劇という形で表現し人々に感動を呼び起こすならそれもまた文化としての宝になることでしょう」とご挨拶。

 節目の回を阿寒湖畔で開催してくださったことへの感謝と心からの歓迎の気持ちをお伝えしました。


    ※    ※    ※    ※




 さて、挨拶を述べる開会式の後には、今回の演劇祭の目玉の一つである、「前田光子生誕百年記念演劇『阿寒の母(ハポ)前田光子』」が初演で演じられました。

 前田光子さんは阿寒湖畔の広大な森を国から払い下げを受けて保全に充てた前田正名さんの息子正次さんのお嫁さん。

 舞台は前田正次さんと新妻の光子さんの乗った阿寒湖畔行きのバスの中から始まります。



 バスの中での思い出話として、宝塚の卒業生として華々しく活躍していた光子さんを見初めた正次さんや、実は正次さんは光子さんより25歳も年上だったことなどが語られます。



 体調を崩した正次さんが阿寒湖畔を離れて東京で静養している間にも湖畔では様々なトラブルや事件に見舞われます。

 そしてある日、正次さんは光子さんを残して他界、夫に旅立たれたしまった光子さんですが、岳父正名氏と夫正次さんの遺志を継いでこの地に生きて森を守る決意をしたエピソードなどが感動的に演じられ、ほぼ満席の会場からはすすり泣きの声も。

 湖の水位が下がってマリモが干上がるという事件や、盗難にあったマリモを湖に返す返還運動の始まりなどのエピソードも盛り込みながら、この地が地域をあげて森やマリモをはじめとする自然を守るためにいかに努力してきたかが演者のセリフを通じて上手に語られています。




 今からは考えられないくらい交通事情や通信事情の悪い当時の阿寒湖畔で苦労しながらも、地域を支え明るく振る舞う光子さんの姿が演劇という形で再び蘇りました。

 釧路市民にも大いに見て頂きたい一本になり、釧路のもつ文化コンテンツが一つ増えたと言えるでしょう。

 「いつも皆の暮らしを心配してくれていた」、「クリスマスプレゼントをくれたりして優しかった」、「いや、おっかない人だった」

 会った人それぞれの光子さんとの思い出があるでしょうけれど、今日心温まる物語が一つ誕生しました。
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