北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

一念、道を拓く~致知11月号より

2012-10-11 23:33:11 | Weblog



 今月号の「致知」が届きました。

 今月のテーマは「一念、道を拓く」で、メインの対談は今や時の人となった、iPS細胞の発見でノーベル賞を取った京都大学の山中伸弥教授と、小惑星探査衛星はやぶさのプロジェクトマネージャーだった川口淳一郎さん。

 お二人に、それぞれの道に込めて来た一念と、日本あるいは人類の進むべき道について語り合ってくださいました。

川口「お役人にはなかなか分かっていただけない部分がありましてね。例えば『あの星へ行ってサンプルを持ち帰ればこういうことができると思います』と言うと、『その証拠はどこにある?当てずっぽうな話をするな』みたいな言われ方をする。
 でも初めから分かり切っていたら、そもそもやる必要はないと思いますけど」


山中「僕も科学研究には二つあると思っていて、一つは警視庁の捜査のように、犯人は絶対にいることが分かっていて、いかに早くその犯人を見つけ出すか、しらみ潰しでさがしてゆく研究の仕方で、これはこれで大切です。

 方や昔、大航海へ乗り出したように、そこに何があるか分からないけれども、行かないわけには行かないでしょうと。行ってみたらきっと何かがある。それが役に立つか立たないかなんて分からないけれども、行くこと自体に価値があると。僕はその両極端、両方ともが非常に大切だと思うんです」

 
川口「私のところにも大学院生が入ってくると、最初に『何を読めばよいですか?』と訊いてきます。大学院が終わるまで、ああしなさいこうしなさいと指示をされ、新しいことや違うことができなくなってしまっているんでしょう。

 独創力、ということを頭から考えて臨む人はなかなかいないかもしれませんが、誰も足を踏み入れていないところへ乗り出そうとする気持ちそのものが、すでに独創なんですよね。それがどんなに普通のことに思えても。そういう気持ちって、いまの日本人に一番欠けているところかなと思うんです」

山中「おっしゃるとおりです」

川口「宇宙開発者も、あの星へ行けばきっと何かが見つかるというのは、当てずっぽうではなく、まさに『これを狙いに行く』と決めて、行って成果を出している。決して偶然に頼っているのではなく計画された偶然を狙っているというか」

山中「それは我々にもありますね。大航海へ乗り出すというのも、あそこへ行くという強い一念や何らかの目的があったからのことで、単に漂流をしていたわけでは絶対にないと思いますから」


 さすがに道を遠くまで歩んだお二人だけに含蓄のある言葉が綺羅星のようです。

 心が洗われる思いです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 次にご紹介するのは、大阪府立淀川工科高校吹奏楽部を長年指導され、全国最多二十四回の金賞受賞歴を誇る吹奏楽のカリスマ指導者、丸谷明夫さん。

 部員のほとんどが初心者の男子という状況で、間違いなく栄冠へと導くための指導について語ってくださいました。

 丸谷先生もかつては吹奏楽部をやっていたのですが、その時の指導してくださった先生は、手取り足取り教えてくれるのではなく、遠くでぼーっと眺めているだけだったのだそう。

 そのおかげで子供の心にいかに火をつけるかが一番の教育なんだということを教えてもらいました、と言います。

 「初めは本で読んだことなどを指導に活かされたのですか?」という問いには、「わりにそれは少ないですね。学んだことを伝えるだけではおっつかん。何事もそうだと思いますが、子供たち一人ひとりがその気になって本気でかかってきよったら、少々下手な者同士でもかなりいいところまで行きますよ。特に五十人もいればね。

 たとえは悪いですが、一人ひとりが自爆する覚悟で向かってくるのと、最新兵器を持った数人がいて他にやる気のない大勢が集まっているのとでは大分差がつく。それは音にも影響しますから」とのこと。


「指揮者の指示どおりに動くのが、いい演奏ではないのですね?」
「それはもう全然だめです。例えば五人の人間が一斉に歩くとしますよ。足並みを揃えるためには隣にいる者を横目で見ながら一歩を踏み出す。そうすると確かにピタッと合うんですが、どうしても動きが鈍くなるんです。

 一方、五人が『せーの!』でパッと歩き出し、結果としてそれが合っているかどうかを見る。どっちが生き生きしているかと言えば、五人なら五人、五十人なら五十人がパッと踏み出す方にはかないません。

 ということは、棒に合わせて吹いていたらダメなわけです。自分が吹く、それが結果として合っている。個々にかかってこい、というわけです。

 指揮棒に合わせて完璧に吹くだけなら型通りの演奏にしかならない。それぞれの持ち味を生かしながら、結果として合わさった音が生き生きしている。これが日本一になれるかなれないかの差なんです」


 一つの道を究めた人の言葉は深いですね。

 心にも洗濯が必要なのです。


コメント
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