北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「連綿と」…でいいのかな?

2016-06-14 22:50:25 | Weblog

 

 舛添東京都知事の進退が風雲急を告げてきました。

 政治資金の使い道に関して「公私混同が過ぎる」という批判に対してしっかりした説明で都民を納得させることができるのどうか。

 都議会総務委­員会は13日、舛添氏に出席を求め、集中審議を行いましたが、この中で舛添氏は、共産党が14日に不信任決議案を提出する方針であることなどを踏まえ、「少しの猶予をいただきたい」と述べ、辞職を考慮していることを示唆した、と一部のマスコミは報じました。

【舛添氏が辞職考慮=「連綿とせず」五輪後に判断】
 https://www.youtube.com/watch?v=Eq9LmXQ8hwU

 「もし私に対する不信任案が可決された場合には、法律上は私が辞任するかないしは議会を解散するか、という選択を迫られます。そうしますといずれにいたしましても選挙ということになる。この選挙の時期がどうしてもリオのオリンピック・パラリンピックの時期と重なります」

「(リオ五輪の時期に時期開催都市の)東京が選挙をするということは、国家的事業である2020年オリンピックにとって極めてマイナスだ。それは私が知事の座に連綿としてしがみつくということではございません。(3分45秒あたり)」


 この舛添都知事の最後の発言を聞いていて気になったのは「連綿として」という表現の部分です。確かに舛添知事は「れんめんとして」と言っています。

 しかし辞書を引くと「連綿として=途絶えずに長く続くさま」とあり、例文として「連綿として続く文章」が示されています。

 意味としては「いつまでもずっと知事の座にしがみつく」ということなのかな、と思いつつ、ここは「恋々(れんれん)として」の言い間違いではないのかなあ、と思った次第。

 「恋々と=未練の気持ちが強く,思いきれないさま」とあり、例文として「その地位に恋々としてすがりつく」という表現が示されています。文脈からするとどうもこちらの方がしっくりくると思うのは私だけでしょうか。

 発言の意図はご本人しかわかりませんが、私としては「恋々として」と言ってくれた方が格調が高くなったような気がします。日本語って難しい…。

 

 

コメント
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