ある知人と話をしていて、「昔ある施設の整備事業に関連してその測量をするアルバイトをしたことがあったんです」という話を聞かされました。
その事業には反対運動があって、反対派の人たちが集団になって事業をやらせまいとしてなかなか苛烈な抵抗をしていたのだそうで、なかには石を投げてくる人もいたんだとか。
「石を投げるってかなり乱暴ですね。石にあたる人もいたんですか」
「ええいましたよ。小松さん、戦争もそうだけど、当てようと思って銃を撃つなんてシーンは映画の中だけで、現実にはほとんどないんです。ただやみくもに打つ流れ弾に当たってケガをしたり死ぬ人は多いですが、そのためには何万発の弾を打つことか。戦争は効率が悪いんです」
「へえ、それは知りませんでした」
「投石も、当てようという石よりもただ投げられた石に当たってケガをする人はいました。もっとも、ヘルメットをかぶって綿の入った防護服を着て身を守っていました。でもマスコミは反対運動にシンパシーがあるようで、そういう話は一切書かれませんでしたね」
「うーん、大変でしたね」
「当時のアルバイトって一日働いて二千円くらいだったんですが、まあそういう危険性もあって、バイト代はその3~4倍はもらえました。でもそれには条件があったんです」
「条件って何ですか?」
「それは絶対にやり返さないってことですよ。いくら石を投げられても、こちらから石を投げ返さないこと。もしそれに我慢ができなくなって石を投げ返したりやり返したりしたら、それはマスコミの格好のネタになって事業にマイナスの影響を与えたことでしょう。じっと我慢をする。何かをしようと思えば、やり返すことは無益です。我慢、それだけなんです」
なるほど、政治の世界でも野党は批判をし与党は耐えるというイメージがあります。実行者の側は批判に耐えるのが仕事でもあるようです。
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そこで話は舛添都知事のふるまいに移ってゆきました。
その方は、「舛添都知事もふるまいを間違えましたね。最初の公用車で別荘へ行ったと批判されたのが事の発端でしたが、あの瞬間に『そうですね、やりすぎましたね。ご批判を甘んじて受けて、今後はやめるようにします』と言えばよかったんです」
「なるほど、それなのに『公用車での移動はルールに従っていて問題ない』とか、『別荘への滞在は頭を整理できるので都民のためになっている』などと反論をした。それはあたかも"石を投げ返した"ようなものだったんですね」
「そう、まさにそうなんです。彼の性格からしてマスコミからの攻撃に耐えられなかったんでしょうけど、やり返したのがまずかったと私は思っています」
『やられても石を投げ返すな』というのは面白い処世術ですが、要は忍耐ということでしょうか。
大人なら身に着けておくべき素養ともいえるでしょうか。