稚内での依頼仕事終えて今日は札幌へと戻ってきたのですが、途中でなんとしても見ておきたかったのが枝幸町でリニューアルオープンされた『オホーツクミュージアム』でした。
オホーツク地域は古代からの歴史の中で、日本の正史とは異質な道筋をたどりました。
日本の歴史の教科書では縄文時代の後には弥生時代がきて古墳時代、飛鳥白鳳時代…と続くとされていますが、北海道では米の栽培ができなかったために弥生時代ではなく狩猟文化である続縄文時代という時代区分が続きさらに擦文文化、アイヌ文化と続きます。
そんな北海道の歴史の中でもオホーツクは特に大陸や北方諸島、サハリンとの交流による民族や文化の交流が盛んで独特の変遷をたどりました。
そうした研究はオホーツク地域の古墳や考古学研究が進んだ結果わかってきたことですが、特にそれを面白がったのが司馬遼太郎さんでした。
彼は日本だけでなく世界を旅してそれを『街道をゆく』というシリーズの紀行文を著していますが、その第38巻でオホーツク街道を取り上げています。
【司馬遼太郎 街道をゆくシリーズ38 オホーツク街道】
http://publications.asahi.com/kaidou/38/index.shtml
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そうしたオホーツク考古学の成果をわかりやすく展示している施設が「オホーツクミュージアムえさし」なのですが、私が稚内にいた一年の間はずっとリニューアルのため閉館中でとうとう見ることができませんでした。
今回せっかく宗谷地域までこれたので何とかして観たいと思い、遠回りですがこのオホーツクミュージアムに立ち寄ったのです。
館内に入って受付で入館料を払おうと「大人一人です」と言うと、「当館は無料です」とのこと。
「え?」思わず聞き返してしまいました。タダとはありがたいやら申し訳ないやら。
館内はまず、この地域の動植物の自然展示が登場します。大きな骨格標本が目立ちますよ。
続いて奥がいよいよこの地域の考古学的歴史展示。実際に見てみると歴史好きには実に興味深い展示になっていて思わず見入ってしまいました。
特にオホーツク海の豊かさに恵まれて海からの狩猟を生業とした人たちがこの地域に根付いて活躍していた時代があるというのがオホーツク人らしいところ。
私自身、縄文時代などの狩猟文化と聞くとついクマや鹿などの陸の動物や植物を採っていたのだろうと思っていましたが、海に特化した狩猟文化というものがあったとは目からウロコでした。
亡骸に甕を伏せて埋葬する風習があったとか、実用にはならない小さな子供のままごとのような土器があったというのは実に面白い展示です。
興味がなければ難しい内容と言えるかもしれませんが、稚内から紋別や網走方面へ移動する途中でオホーツク圏について深い勉強ができる数少ない施設でしかも内容はとっても充実したものです。
(これで無料はないなー!)と強く思った次第。知識や研究の成果が売れないと思っているのかもしれませんが、もっと宣伝をしたり見に行った人がちゃんと評価をしてあげるとよいと思います。
稚内へ向かう国道40号線のルートからは離れるので簡単にアクセスができませんが、近くへ寄ったときは一見の価値ある「オホーツクミュージアムえさし」。
道産子なら一度は見ておきたい。超おすすめです。