北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

まちなかの静寂空間

2016-06-15 23:55:06 | Weblog

 

 新しく勤めている舗装事業協会のオフィスは札幌市のほぼ中心部にあります。

 お土産屋さんやら飲食店が多く外国人もたくさん歩いている狸小路からもほど近くとっても賑やかな場所で、今は市内を練り歩く北海道神宮例大祭の練り歩きの音が響いています。

「新しい場所へ行ったら地域の神社、お宮さんへ挨拶に行きなさい」と、そう教えてくれたのはかつての職場の上司でした。

 その意味は、公共事業や建設業に携わるものとして持つべき心構えだと彼は言いました。

「公務員といえども我々のやっていることは、人間のためとは言いながら、建設事業を通じて木を伐り土を掘り、そこにいる生き物の住処や命を奪うことになる因果なものだ。だから『申し訳ありませんが、そんな仕事をさせていただきます』という挨拶をしに地域を見守ってくれているお宮さんへ行くんだ」

 その言葉はじんわりと効いてきて、やがて「神社とは何か」「神道とは何か」ということを勉強するようになり、勉強すればするほど、その風土からくるわが国の背景や日本人のものの考え方などがますますよくわかり、日常に根差している実に興味深い精神世界がそこにあります。

 
 たとえば神道では「禊(みそぎ」)と「祓い(はらい)」がとても大切ですが、禊は水を使って罪穢れ(=清潔さ)を取り戻し、祓いは箒で掃くことによって清潔さを取り戻す行為。これって日常の中の洗濯と掃除ではありませんか。

 日常の身の回りを清潔にすることは神様に通じる行為なんだと思えれば、それらはおろそかにはできませんね。

「お天道様が見ているよ」と言われたら嘘をついたり良心に恥じる行為ができないという日本人は多いはず。それが日本人の精神構造なのです。


             ◆ 


 そんなわけで、新しい職場に来ることになった機会に先日、職場の近くにある三吉神社さんへお参りに行ってきました。

 ここは札幌の電車通りに面した神社で、周りはビルですがここだけは静寂の空間。ご由緒は明治11年に秋田県の太平山三吉神社の分霊を祀ったのが始まりなんだそう。

 お願いというよりもまずはご挨拶ですが、すがすがしい気持ちになりました。

 良い仕事ができるよう頑張っていきたいと思います。


 
 

コメント
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