北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

俺もあんたも芋なんよ~互いに磨きあう「芋こじ」

2016-06-06 23:43:43 | Weblog

 新しい仕事についてまだ一週間。あいさつ回りで新しい関係のみなさんはもちろん、古い友人などを含めいろいろなところを訪ね歩いています。

 ある研究機関で道の駅について造詣の深い友人のMさんを訪ねたところ、以前私がアドバイスを依頼した道内の自治体の話になりました。

「そうだ、小松さんから依頼を受けたところ方が訪ねてきましたよ」
「そうですか。話を聞いてアドバイスしていただけましたか?」

「はい、まずは話を伺いました。来られた方は、その方の自治体で作ろうとしている道の駅について、郊外の高速道路近くに作るべきか中心市街地に作るかで地域の中の意見が分かれていることを憂いていましたね」
「話を聞いて、どちらが良いというようなアドバイスをしたんですか?」

「そんなに単純な話じゃないことはお分かりのはずです。どこに作るか、ということよりも、決め方のプロセスの方がずっと大事なんですから」

 
 最近は地域のものが売れたり、結果として町の知名度が上がる道の駅が注目をされていて、地域振興とビジネス活性化のために道の駅を作りたいという自治体が増えています。

 しかし、ではそれがどうなったら成功したと言えるかは様々な評価の仕方があります。
 物が売れれば良いのか、物はそれほど売れなくても地元と他所からの人との交流拠点になればよいのか。
 管理のための費用くらいは稼げなくてはいけないのか、たとえ赤字であっても、地域の名前が売れれば良いのか。

 大切なことは道の駅でもなんでも、これからやろうとする事業について、「そもそもなんのためにやるのか」という基本的なコンセプトのコンセンサスが地域の中で共有されているかどうかです。

 しっかりと共有するためには、大勢の参加を得て全員が発言したうえで全員が納得するまで徹底的に話し合わなくてはなりません。そのうえで理想に燃えつつ限界も感じて、大風呂敷を広げずに慎ましい成果を地域全体が納得するまで徹底することが大切。

 しばしば見受けられるのは、そういうことをしないままに「補助金の締め切りが来月だから今月中に方向性を出そう」というような、妙な締め切りに制約されてしまうこと。
 あるいは、「これだけ議論したんだからそろそろ結論を出すべきだ」というとにかく前に進めるよう主張すること。

 地域の中で思いが共有されないということは家を建てるうえで基礎がしっかりとできないということ。それなのに柱を立てて屋根をかけようとするから、「やっぱり大本に立ち返りましょう」という意見が出てまた振出しに戻るということが繰り返されてしまうのです。


「その自治体はどうなりましたか?」 
「まずは持ち帰って地元で話し合うって言っていました。その話し合いの議論は必ず次のための肥やしになりますからね。あとは『もう時間がないから』という見切り発車にならないように祈るばかりです。もちろん求められればいくらでもアドバイスをする用意はありますが、最後に決めるのは地域の皆さんですからね。そこがちゃんと理解されれば変な失敗はしないと思いますよ」


          ◆ 


 補助金や交付金をもらうために期限を区切って計画を立てた事業が行われることがありますが、補助金がなくなったときに自立ができるような現実的なプランを描けているでしょうか。

 何よりも、それをすることで地域の結束が増して皆の活気が出るような一体感を醸成できているでしょうか。小さな町でも小ささを逆手に取って、全員が参加して役割を分担して頑張るような取り組みになれば十分に意味のあるものになると思います。

          ◆  

 二宮尊徳は地域の住民たちが相互に意見を言い合って互いを高めあう活動を「芋こじ」と言いました。

 里芋を洗う時は、樽の中に入れて棒でかき混ぜれば互いが擦れ合って互いにきれいになる。誰かが一個一個を洗うのではなく、互いに切磋琢磨してきれいになる、高めあうという行為が参加と共感を呼ぶことを知っていたのです。

 まちづくりは「芋こじ」でまいりましょう。

 

 

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