本日の舗装事業協会の総会は無事に終了しました。
総会の後で、1時間という時間枠をいただいて私が講演を行いました。
タイトルは『松浦武四郎の150年前 蝦夷地の出来事』というものです。
昨年は松浦武四郎によって蝦夷地が北海道と命名された150年ということで、様々な記念事業が行われました。
多くの方が、北海道という名前になってからの北海道の歴史や物事について学んだり楽しんだりする機会も多かったことでしょう。
今回の私のテーマは、そういう時だからこそ、『では松浦武四郎が登場するまでの蝦夷地の150年にはどういう歴史があったのだろうか』というものでした。
歴史のはざまに埋もれた無名の探検家、家族と離れて北辺の寒さに非業の死を遂げた東北の藩士たち、日本とロシアと言う国の間に挟まれて翻弄される人々、かたやでその困難な問題を解決しようと命を懸けて奔走した志士たち…。
蝦夷地が北海道と名を変えるまでの間にも、歴史が全くなかったわけではなく、いやそれ以上に、開国を迫るロシアとのドラマチックな物語があるのです。
長く鎖国を続けて、外国との接触に消極的だった江戸幕府は、船が漂流してロシアに流れ着いた漂流民たちを返しに来た、という人道的な名目で、開国と通称を迫る大国ロシアを目にして初めて、『国民とはなにか、国土とは何か、国家とは国民と国家に何をすべきなのか』という問いを突き付けられます。
そしてそれらに対する答えを導く中で、近世ナショナリズムの萌芽の姿がそこにみられます。
特に千島列島を舞台にして、ロシアに取られるのか、それとも日本の領土として守れるのかは、そこに住むアイヌの人たちがどちらの国に属したいと思うのか、ということに焦点が当たってきます。
そうしてみると、巷間知られているような、場所請負人たちがアイヌを虐げて略奪を図るような振る舞いは実にマイナスであったわけです。
18世紀後半には複数回にわたる蝦夷地や千島、カラフトへの探検を通じて、和人とアイヌの実態を知るための調査が行われ、あるべき方針を定め実行に移さなくてはならない。
そしてそこに中央政府の政変や憎しみや恨み、災害などが複雑に絡んだ人間模様が浮かび上がってきます。
今日の講演の主題はそうしたことの中から、歴史に埋もれた人々を蘇らせてみたい、という思いでしたが、いかがでしたでしょうか。
この講演の中身については、いずれ一定の文章にしたいと思っていますので、しばしお待ちください。
◆
で、今日は、そんな総会や講演会が終わった後の懇親会でのお話。
大同舗道という舗装会社の社長さんが、周りから「BOSSのCMを見ましたよ、除雪を担当している裏方の物語で、クレーマーがいたり、仕事へのやりがいが感じられたりして、グッときますね」と話しかけられて、壇上に立って、その裏話を紹介してくれたのです。
曰く、「サントリーから札幌市の雪対策室に相談があって、実際に除雪をしている私の会社(大同舗道)の社員に白羽の矢が立ったんです。私も良いストーリーで感動しました」とのこと。
私は全然知らなかったのですが、ネットで3分7秒バージョンが公開されていて、感動的でした。
このCMを見て、缶コーヒーを買いつつ、市民の多くから除雪への協力が得られるとよいのですが。
皆様、舗装関係の会社の多くが冬は除雪をしています。
名もなき人々の奮闘努力によって社会は成り立っています。
それは歴史の中にいて、今の私たちの周りにいます。
そんな名もなき人々に、どうか思いを寄せてくださいませ。
【ボス『冬の北海道×BOSS』篇 3分7秒 サントリー】
https://www.youtube.com/watch?v=NLcUnssRhXo&feature=youtu.be